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人生の根本は無心になること 伊與田覺(論語普及会学監) ※対談の相手は、同じく安岡正篤師を 師と仰ぎ、96歳のいまなお講演で全国を行脚する 福島新樹会代表幹事の渡邉五郎三郎氏。 伊與田 『老子』に、 「道は一を生じ、一は二を生じ、 二は三を生じ、三は万物を生ず。 万物は陰を負いて陽を抱き、 沖気を以って和を為す」 とあります。 一から二を生じ、二から三を生じ、 三から万物を生ずというけれども、 この三が僕にはどうも分かりませんでした。 ところがその答えが『老子』にあって、 三とはなんぞやというたら沖気だと。 沖気というのは無心の心で、 それが両者を結ぶわけで、和気ともいいます。 その沖気の働きがすべてのものをつくっていくと。 一つのものだけでは創造ができない。 異質のものが沖気(縁)によって 結ばれて別のものになる。 万物はそうして異質のものが結ばれて 植物になり、動物になり、人間になるんだと。 その微妙な結び役というものが 目には見えないけれども存在するんですな。 去年体調を崩した時、 ベッドの上でずっと天井を見ておると、 板の継ぎ目にぶらんとぶら下がっているものがありましてね。 ゴミのような白い玉が 目に見えないような糸で結ばれていて、 これが風が吹く度にあっちこっち動き回る。 わしの生命もあんなものかと思ったら、 短気を起こすな、まぁゆっくりしてから逝けと 教えてくれているような気がして、 それから毎日寝る前に、 そのぶら下がっているものに 手を合わせるようにしているんです(笑)。 渡邉 そうでしたか。 私はこれまで安岡先生との道縁に 導かれて学んだことを踏まえて、 これだけは最後まで貫いていきたいと考えてきたことが三つありましてね。 一つはきょうのテーマである 学にも通じるもの、人づくりです。 二つ目は一燈照隅です。 どんな立場にあっても、 自分の置かれた環境を明るく照らして よりよい方向に変えていきたい。 そして最後は、安岡先生が晩年 よく説かれていたように、 無名有力の人になること。 人知れず己をひたすら磨き高め続けていく ということですね。 私はこの三つを貫いていくために、 なおも学の道を歩み続ける覚悟です。 伊與田 僕はきょうもこうして元気に対談しているけれども、 99まで生きようと意識してきたわけではありません。 すべて縁であってね。 何しろこれまで10回近く入院してきたわけだから(笑)。 渡邉 あぁ、10回も入院を。 伊與田 勘定してみると全部で300日くらいになります。 だから病気というのは必ずしも 死に繋がるものではないということは分かります。 25歳の時には結核になりました。 当時は不治の病でしたから、 療養生活が長引いたら周りに迷惑がかかるから 早く死んだほうがいいと思うていました。 これが1回目に死を覚悟した時です。 ところがどうしてもやらなければならないことができて、 どうせ死ぬならこれをとことんやり通して 死のうと思って、薬もやめた。 ところがそれを達成したら咳も微熱も治まって、 医者から「病気は治ってますわ」と言われ、 ともに大笑いしたことがありました。 2回目に死を覚悟したのは先程もお話ししたように、 昭和20年6月15日、僕の誕生日に赤紙が来た時です。 ところが僕の所属した部隊が 艦載機の集中射撃を受けて全滅したのに、 僕1人が生き残った。 その後もがんに2回かかりましたが、 結局のところ人の命というものは 人間の計らいではどうにもならない ということに気がつきました。 だから無心になることが根本だと。 渡邉 本当に同感ですね。 何とか生きたいと思っても、 こればかりは仕方がありません。 伊與田 『中庸』に、 「患難に素しては患難に行う」 とありますが、まぁ病気になったら病気になったで、 あまり気を患わさずに対していく。 そうすると割合気が楽ですね。 人生には困難がつきものですが、 そういう姿勢で乗り越えて学びを深めていく。 そうして息を引き取る時に 最も円熟した自分でありたいと念じております。 |
2014.03.26 |
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