本文へスキップ

      次代に輝く住まいを創る

TEL. 0246-65-2311

〒979-0154 福島県いわき市沼部町鹿野43

一語履歴WORD vol.086a

過去の一語履歴を見ることが出来ます。

一語履歴 HOME
⇦前 一語履歴 次⇨ 
一語履歴 vol.090
プロは絶対に... 090aノーベル賞を... 090b未来を担う... 090c之を愛し...
一語履歴 vol.089
落語の道に 089a人生の大原則 089b83歳の女子高生 089c人生の根本は...
一語履歴 vol.088
幸せは... 088a腕を 088b西郷南洲の 088c決める... 088d坂村真民と...
一語履歴 vol.087
点から... 087aなまえ... 087b誰よりも... 087c体温だけで...
一語履歴 vol.086
俳優に... 086a恩に... 086b怒らない...~宿命は... 086c人生の金メダル...
一語履歴 vol.085
母からの... 085aできる方法... 085b中村天風... 085c生活のあらゆる...
一語履歴 vol.084
仁を... 084a杉山龍丸... 084b全力を... 084c苦労と... 084d勝利の神様...
一語履歴 vol.083
花を咲かせる... 083a実感を... 083bトップに... 083c極限を生き抜く...
一語履歴 vol.082
人生と... 082a苦しみに... 082b全部努力... 082c点々... 082d新しい...
一語履歴 vol.081
私たちは... 081a種をまく... 081b偉人を... 081c売ろうとしたら...
恩に報いていく人こそ幸運に恵まれる
          北尾吉孝(SBIホールディングス社長)
          北 康利(作家)

『海賊と呼ばれた男』のモデルになり、いま再び脚光を浴びている出光佐三。

「人は資本なり」
「一人の馘首(解雇)もならぬ」

これらの言葉に象徴されるように、 人間尊重に立脚した経営道を生涯貫き、
出光興産を100年企業へと導いた 名事業家です。

北尾 出光さんは人間尊重の精神を深くお持ちで、
   おそらくその根本は
   彼の両親から来ているところが
   大きいと思います。

出光さんの父親は
福岡県の宗像で染め物業を営み、

「働け。
 そして質素にせよ。
 ぜいたくをするな」

というのが口癖だったそうです。

しかし、化学染料の台頭で
藍玉が売れなくなり、倒産してしまう。

それでも一所懸命に働き、
僅かな稼ぎの中から
彼に学費を仕送りし続けている。

そういう親の愛情を一身に受けたことが
その後の人生に繋がっていくんだと思います。

北 出光さんは最初に酒井商会という
  小さな店に丁稚奉公に行きますよね。

その主人である酒井賀一郎さんに感謝をして、
後年、酒井さんが亡くなってからも、
出光の神戸支店へ行く前に必ず酒井商店に寄って、
酒井さんの遺影に頭を下げるのが習慣だった。

その部屋は謝恩の間と呼ばれていたと。

北尾 受けた恩を忘れない。

北 驚いたのは、家を建てる時に、
  親の家より高い所には建てず低い所に建てた。

お墓の大きさも、先祖の墓が一番大きくて、
次が両親の墓で、自分の墓は一番小さい墓にしたこと。

親を含め、受けた恩を忘れない。
これは優秀な人に共通した生き方のベースです。
 
北尾 もう一つ、出光さんの人格形成に
   大きな影響を与えたのが
   神戸高商(現・神戸大学)で
   出会った先生の存在です。

学問的には、内池廉吉教授がそうでしょう。

「これからは金儲けをする商人はいらなくなる。
 生産者と消費者の間にあって、
 ただ一つの配給業者のみが残る」

という教えを受けて、
中間搾取するものを排除し、
できるだけ安く、いまで言う
カスタマー・サティスファクション(顧客満足度)を
100%以上に持っていこうと考えた。

それが後に創り上げる「大地域小売業」に
繋がっていくわけです。

それは石油製品の製造を行うだけでなく、
販売まで直結にするという仕組みです。

消費者にとっていいと思ったことを
何がなんでもやり抜く実行力がまた凄い。

それから精神面では、
水島銕也校長の教育ですね。

士魂商才、つまり清廉潔白で
責任感の強い武士の魂をもって、
商人として機敏に才を発揮する
ということを叩き込まれた。

そしてまた、事業を起こすにあたって
資金を提供してくれた日田重太郎さんに
出会うのも神戸高商の時ですからね。

北 本当に人間の縁というのは不思議なものだと思います。

北尾 資産家だった日田さんは
   「こいつは将来、大きなことをやる男だ」と見込んで、
   自分の別荘を売った8千円のうち6千円を出光佐三に恵んだ。

北 それも「返す必要はない」と言ったと。
  そんなありがたい人いないですよ(笑)。

北尾 出光さんはその恩に応えて、
   後に造った船に「日田丸」と
   名前を付けていましたよね。

神佑天助という言葉を出光さんは
よく使われていますけど、
恩にきちっと報いていく、
そういう心掛けの人は天の配剤ともいうべき
幸運に恵まれるのでしょう。
 
2014.02.08

バナースペース

櫛田建設株式会社

〒979-0154
福島県いわき市沼部町鹿野43
Mail infous@kushida-web.com
TEL 0246-65-2311
FAX 0246-65-2313
定休日:土曜日・日曜日