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冷に耐え 苦に耐え 煩に耐え 閑に耐え 岩田松雄(リーダーシップコンサルティング代表) 「THE・BODYSHOP」を運営するイオンフォレストや スターバックスコーヒージャパンなど、数々の社長職を歴任してきた岩田松雄氏。 現在は日本のためにリーダーを育てることをミッションとする氏の、 ビジネス人生の原点ともいえる日産自動車時代の歩みとは。 販売会社から本社に戻り、品質管理の仕事を1年やった後、 産業機械事業部への異動の辞令が出ました。 当時日産はフォークリフトの事業も行っていました。 自動車がメインの会社にあって、主流から外れ、 しかも事業規模も小さい。 普通に考えれば左遷であり、発表日には同期が自宅まで来て 「岩田、辞めるなよ!」と励ましてくれたほどでした。 しかも当時日産では業績悪化から残業規制がありました。 夕方6時前には帰宅するよう命じられ、 夏場などはまだ明るいうちに家に着いてしまいます。 やることもないので、最初のうちは パチンコ屋さんで時間を潰していました。 「こんなに明るいうちに帰ってきて、 俺、何やっているんだろう…」 充実感のない日々の中、「もっと仕事がしたい」という フラストレーションが溜まっていました。 たまたま友人から社内の留学制度について 聞いたのは、そんな時でした。 合格すれば海外のビジネススクールに 2年間派遣してもらえるといいます。 当時の私のTOEICの点数は300点。 調べてみると、アメリカの、しかもトップテンスクールに入るには、 少なくとも900点は最低必要とされていました。 私は「ビジネススクールに絶対に留学する!」と決意し、 必死に英語の勉強を始めました。 1年後には700点、そして2年後に900点に到達しました。 競争率30倍の社内の留学試験にも合格することができました。 その後、留学を応援してくれた上司が人事異動になり、 新しい部長がやってきました。 この部長と相性が悪く、2~3人分の仕事量を与えられて、 オーバーワークとなり、ノイローゼになってしまいました。 後に知ったことですが、最低の人事評価もつけられ、 同期より昇進がかなり遅れてしまいました。 しかし何とか乗り越えて、トップテンスクールである UCLAのビジネススクールに留学することができました。 帰国後は、国際調達、財務の仕事に従事しました。 やりがいはありましたが、せっかくビジネススクールで 経営の勉強をしてきたのに、日産で経営者になるには 20年以上待たなければならないと思い、 「もう待てない」という感覚で転職を決意しました。 そこから私の経営者人生が開けていくのですが、 20代を含む日産時代は、まさにこの言葉に凝縮されると思います。 「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、 激せず、躁がず、競わず、随わず、 以て大事を成すべし」 安岡正篤先生の著書にあった この曾国藩の言葉との出合いは二十代でした。 |
2015.03.09 |
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