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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.126

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一語履歴 vol.130
プロは... 130a苦悩の中... 130b松下幸之助... 130c食こそが...
一語履歴 vol.129
最高の能力... 129a冷に耐え... 129b生徒の可能性... 129cビジネスで...
一語履歴 vol.128
やりたい... 128a相手の... 128b人生は... 128cリンカーン 128d目標...
一語履歴 vol.127
最高の感動 127a真の喜び... 127b患者の苦悩... 127c将らず...
一語履歴 vol.126
自分との闘い... 126a日本一の... 126b努力の... 126c勝ち続ける...
一語履歴 vol.125
厳寒の中... 125aどん底で... 125b伸びる人... 125c楽は苦のため...
一語履歴 vol.124
汗をかけ... 124aお天道様... 124bイノベーション... 124c真の恩返し...
一語履歴 vol.123
おやじの弁当 123a最強の... 123b可能性を... 123c日本人が...
一語履歴 vol.122
地味にコツコツ~宝と心得る 122a奇跡... 122bごめんなさいね...
一語履歴 vol.121
幸せは... 121a敵と思え... 121b勝運を... 121c遺伝子のスイッチ...
勝ち続けるために必要なこと
              井上康生(全日本柔道男子代表監督)

柔道男子金メダルゼロという悲劇に終わったロンドン五輪の後、
日本柔道の再建を託され、代表監督に就任した井上康生さん。
そこから僅か2年1か月の間で、 実に12個もの金メダルをもたらしました。
現役時代、柔道界を牽引した絶対的エースは
いま指導者としても目覚ましい結果を残しています。
    
――全日本の選手たちにどんなことを厳しく指導されていますか。

井上 技術的なこともそうですが、やはり心構えの部分ですね。
   自分自身が本当に柔道に懸けているんだという姿勢。

苦しく厳しい環境のもとで練習をする中で、
時に人間ですから、弱音を吐いたりするかもしれません。

だけど、強くなるために何が必要かを考え抜いて、
そしてそれをひたむきに追い求めていく。

他の者たちから、

「ああ、さすが○○だな。
 あいつの背中を見たらやっぱり勝てないよな。
 もっと頑張らなきゃ」

って思われる。

それほどの練習量と質で他の選手たちを凌駕する。
リーダーとはそうでなければならないと思います。

また、人間力の部分に関しても、
例えば目上の方に対する礼儀だとか挨拶、
何かしてもらった時に感謝の気持ちを伝える。

一見当たり前のことなんですが、
意外とできていないことがあると思います。

そういうことも自然とできるリーダーを育てていきたいなと。

自分自身をしっかりとマネジメントできる人間が、
勝負の世界で勝っていける一つのポイントだと思うんです。

――伸びていく選手と途中で止まってしまう選手の差は
  どこにあると感じていますか。

井上 心技体といいますが、やはり心がしっかりと備わっていなければ、
   強くなれる者も強くなれないと思うんですね。

その根底にあるのは、自分自身がどう生きるべきか、
どういう選手になりたいかという夢や目標。

強くなりたい、チャンピオンになりたいという心を持っているかどうか。
ここがぶれてしまったら、どんなに努力しても最終的には崩れていってしまいます。

でも、それだけではダメだと思うんですね。
そこにはやっぱり「俺は必ず成功するんだ!」という断固たる決意が要る。
自分自身を信じる心を持って戦う選手と戦わない選手では、
大きく差が出てくると私は思います。

井上 また、出る杭は打たれるというように、
   一度勝っても勝ち続けることは難しい。

やはり勝つとみんなが研究してきて抑えようとしますので、
そこをさらに上に行く努力を積み重ねていかなければ、
勝ち続けることはできないと思うんです。

――さらに上に行く努力。

井上 人間はそんなに強い生き物じゃありません。

自分自身がこれまで築き上げた成功体験にすがりたい
という気持ちはよく分かるんです。

ですけど、やっぱりスランプといいますか、
何かの壁に当たった時に必要なものは、
まずはその現実をちゃんと受け止めること。

そして、逃げないことですね。

逃げるっていうのは、他のせいにしてごまかしたり、
その道から外れて何か他のことをしようとすること。
これでは物事は解決できません。

やはり壁にぶち当たって、ぶち当たって、
ぶち当たってそれを乗り越えた時に、
初めて人間は成功できるのではないかなと。
 
2015.02.10
努力の仕方の差
       奥村幸治(NPO法人ベースボールスピリッツ理事長)

言わずと知れた天才打者・イチロー選手。
「シーズン歴代最多安打記録262」
「10年連続シーズン200安打」
「日米通算4000安打」等々、
前人未到の大記録を打ち立て、世界中のファンを魅了してやみません。
なぜイチロー選手は、かくも輝かしい成績を挙げ続けているのか。
       
これは私が打撃投手に区切りをつけ、トレーナーになろうと
メンタルトレーニングの勉強をしていた時のことだった。

イチロー選手をつかまえて、メンタルトレーニングについて
どのように考えているかと尋ねてみた。

すると彼はひと言、

「メンタルを鍛える、つまり心を鍛えるっていうのは、
 自分に必要なことを続ける努力をすることじゃないんですか」

と答えた。

私はその答えに興味を覚え、さらに質問を続けた。

「これまでに、これだけは絶対誰にも負けていないと
 胸を張って言える努力って何?」と。

「高校の時に寮に入っていた3年間、
 僕は寝る前の10分間素振りをしていました。
 そしてそれを1年365日、3年間欠かさず続けました。
 それが僕の誰にも負けないと思える努力です」

この話を聞きながら、私は高校時代に
自分がどんな努力をしてきただろうかと自らに問い掛けた。

「きょうは家に帰ったら300回素振りをしよう」
「きょうはいつもより多く走ってこよう」

といった努力はしてきたが、イチロー選手のように
これだけは絶対にやらなければという思いで
続けてきたことは何もなかったことに気づかされた。

この話には後日談がある。

つい最近のことだが、私の講演を聞いてくれていた
イチロー選手の高校時代の先輩に声を掛けられ、
その講演で触れた「10分間の素振り」について話題が及んだ。

「やっぱり本当なんですか」と尋ねると、
その答えに私は驚いた。

「10分間の素振りね、あれは最低10分だからね。
 やり続けると1時間でも2時間でもやっていましたよ」。

イチロー選手は既に高校生の頃には
一度自分で決めたことを、決してゼロにはしなかった。

そうやって心を鍛えてきた事実に
私は新たな衝撃を受けた思いだった。

NHKの特集番組でイチロー選手は
次のような趣旨のことを語っている。

「心が折れそうになった時、自分が続けてきたことを
 やめてしまおうと思ったこともあった。

 しかし、もし仮にやめてしまったら
 自分が自分ではなくなってしまう」
 
これは彼にとって、いまの自分があるのは、
やると決めたことを休むことなく続けてきたからだという
認識を強く持っているからに他ならない。

彼の弛まぬ努力の仕方そのものが心の支えとなり、
いまを生きる力になっているのだと私は思う。
 
2015.02.05
日本一のブランド戦略
              江夏順行(霧島酒造社長)

全国200以上のメーカーが鎬を削る焼酎業界において、
2012年から2年連続で日本一の売上高を誇る霧島酒造。
ここ15年の間で売上は7倍になり、
全都道府県でシェア10%以上を達成しています。
その牽引役となったのが、焼酎市場に大変革をもたらし、
いま全国的に人気を得ている芋焼酎「黒霧島」です。
     
江夏 食の偽装問題がたびたび報じられる時代にあって、
   我われのような会社は信頼されるブランドを
   築くことが非常に重要です。

あの企業が好きだから、この商品を買う。
そのようにお客さんに愛される、品質の高い焼酎をつくる。

それがときめきや感動を生み出し、
揺るぎない信頼を築くことに繋がると考えたんです。

その価値観のもと、開発に至ったのが「黒霧島」でした。

従来の芋焼酎は米や麦と比べて
洗練されていない独特の香りのある焼酎で、
「芋臭くて苦手」という人もたくさんいたんです。

そこで、「トロッとキリッと」と表現しているとおり、
芋の香りがきつくなく、その代わり甘みが増して
後味もすっきりとした焼酎にしました。

また、味わいだけではなく料理との相性も
非常に大事にしました。

食事の邪魔をしない、
むしろ食事を引き立たせると。

自己主張を強くするのではなく、
他者を生かすことを心掛けたんです。

――「黒霧島」の発想はどこから生まれたのですか。

江夏 その当時、ビール業界では
   ドライ戦争が起こっていました。

キリンビールのラガーが市場を席巻し、
低迷していたアサヒビールは市場調査をもとに、
社の命運を賭けて「アサヒスーパードライ」を打ち出しました。

すると、これが記録的な大ヒットとなり、
各社がこぞってドライビールを出していった。

ラガーの舞台ではなく、
ドライの舞台をつくったんですね。

そして最終的にはアサヒが勝ち、
シェアトップに立ったのが、
私がちょうど社長に就任した年でした。

それを見て、「あっ、これだな」と思ったんです。

同じ時期に黒酢や黒豚、黒ごまなど、
南九州産の黒をモチーフにした商品が
ブームになっていたことに加え、

大半の蔵元が白麹を用いて仕込む中、
黒麹の焼酎も一部の地域で細々とつくられていたことが
ヒントになりました。

黒をスタンダードにした新しい舞台を本格的につくり、
黒戦争を仕掛けることを決断したんです。

――ああ、黒戦争を仕掛けると。

江夏 当初、開発に当たっては営業部隊から
   全く受け入れられませんでした。

「『いいちこ』が象徴しているように、
 焼酎は芋ではなく麦や米が主流になっている。
 だから、そういう焼酎をつくるべきじゃないか」と。

しかし、私はこの「黒霧島」の開発こそが
我が社の飛躍の原動力になると確信し、
チームを組んで開発に踏み切りました。

数百回に及ぶ調合を延々と繰り返し、
1998年にようやく完成に漕ぎ着けることができたんです。

――反応はいかがでしたか。

江夏 最初はあまり売れませんでしたが、
   手応えを感じるようになったのは
   発売から1年経ったくらいですね。

従来の芋焼酎と違って非常に飲みやすく、
食事と一緒に楽しめますので、
地元宮崎の女性客の間で評判になっていきました。

営業も「これはいけるかも」ということで、
2001年から福岡でキャンペーン展開し、
数年ごとに広島、関西、東京という順番で、
徐々に市場を広げていきました。

で、案の定ライバルも黒の舞台に上がってきて、
白の市場から黒ブームに転換したんです。

――既成の市場ではなく、新たな市場を生み出したわけですね。
 
2015.02.04
自分との闘いに打ち克つには
           守田 満(マスターズ世界最速の91歳スプリンター)

マスターズ短距離界で、世界最速の91歳スプリンター・守田満さん。
高齢の域に達した人であれば 月日を経るごとに衰えていくのが普通でしょう。
しかし、守田さんは想像を超える ハードな練習と食事で鍛え上げ、
2013年10月、5回目の挑戦にして世界記録を0・03秒更新。
現在4つの世界記録を保持しています。
    
守田 私も主人に先立たれてからは
   ずっと1人で暮らしています。

子供3人が皆近くに住んでいますが、
仕事で忙しいでしょう。

ですから、子供の邪魔をせんように、
安心して仕事ができるように、自分は健康でいようと。

それだけはいつも頭に置いています。

長岡 守田さんもご主人を亡くされたんですか。

守田 はい。

いまから10年前、享年84歳でした。

主人は各地で大会があるたびに、付き添ってくれましたし、
会社の取引先の方との集まりがあると、
しょっちゅう私の記録を自慢していたそうなんです。

地元の新聞記事なんかを集めて、
大切に保管してくれたりもしました。

主人のおかげでこんなに自由奔放なことを
させてもらっていたんですから、やっぱりガックリきましたね。

もう毎日「死にたい、死にたい」の連続で、
家の中に閉じこもっていました。

その時はちょうど11月でシーズンオフの時期でした。
3月になるとまた本格的に練習が始まるんですね。

マスターズの友達から、

「守田さん、一緒に練習しましょう」

と声を掛けてもらって、
それから家の外に出るようになりました。

だから、陸上がなかったらあのまま
生きる意欲を失っていったんじゃないかと思います。

長岡 ああ、陸上があったからこそご主人の死を……。

守田 乗り越えることができたんですね。

だからいまでも出かける時は、

「練習に行ってくるけん、
 火事にならんように家を守っとらんといかんよ」

って、仏壇に飾ってある主人の写真に言葉を掛けますし、
大会で世界記録を取ったりするとその報告をしています。

その時の経験からつくづく思うのは、
打ち込むものを持っていてよかったなと。

いまはよく定年を過ぎてから
遊んだりゴロゴロしたりする人がいますが、
やっぱり何か目標を見つけて、それに向かって突進すること。

それが未来をひらくために大事なことでしょうね。

定年になって仕事がなくなったからといって、
ボーっと過ごしていても、世の中面白くないと思いますよ。

私はいま91歳。
次は95歳で世界記録をつくることが目標ですね。

100歳までは完全に行けるという自負心がありますので、
長岡さんを目標にして、100歳でも世界記録をつくる。

そこまでいったら、それから先は
またひと息して考えます(笑)。

これからは毎年毎年、1秒ずつタイムが落ちていきます。
これはもう分かっているんですよ。

ですから、この1秒をいかにして食い止めるかが、
自分との闘いです。

そうして昨日の自分の記録、1年前の自分の記録に打ち克って、
未来を切りひらいていきたいと思っています。
 
2015.02.01

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