本文へスキップ

      次代に輝く住まいを創る

TEL. 0246-65-2311

〒979-0154 福島県いわき市沼部町鹿野43

一語履歴WORD vol.125

過去の一語履歴を見ることが出来ます。

一語履歴 HOME
⇦前 一語履歴 次⇨ 
一語履歴 vol.130
プロは... 130a苦悩の中... 130b松下幸之助... 130c食こそが...
一語履歴 vol.129
最高の能力... 129a冷に耐え... 129b生徒の可能性... 129cビジネスで...
一語履歴 vol.128
やりたい... 128a相手の... 128b人生は... 128cリンカーン 128d目標...
一語履歴 vol.127
最高の感動 127a真の喜び... 127b患者の苦悩... 127c将らず...
一語履歴 vol.126
自分との闘い... 126a日本一の... 126b努力の... 126c勝ち続ける...
一語履歴 vol.125
厳寒の中... 125aどん底で... 125b伸びる人... 125c楽は苦のため...
一語履歴 vol.124
汗をかけ... 124aお天道様... 124bイノベーション... 124c真の恩返し...
一語履歴 vol.123
おやじの弁当 123a最強の... 123b可能性を... 123c日本人が...
一語履歴 vol.122
地味にコツコツ~宝と心得る 122a奇跡... 122bごめんなさいね...
一語履歴 vol.121
幸せは... 121a敵と思え... 121b勝運を... 121c遺伝子のスイッチ...
厳寒の中で咲く梅の花ように  
          石川真理子(文筆家)

文筆家で武士道研究家として知られる 石川真理子さん。
その人格形成の原点にあるのは
厳格な武家の娘として育った祖母の存在でした。

祖母の人生は本当に苦難の連続でした。

そして日本が大東亜戦争に向かっていく中で、
最大の苦難が訪れるんです。

それは最愛の長男の死でした。

私にとっては伯父に当たる方で、
元々は証券会社に勤め、
将来を嘱望されておりましたが、
応召して南京で負傷をし、
傷痍軍人として帰ってまいりました。

その後札幌に転勤しましたが、
片手の指を失い、胸に銃弾を受けて
大怪我をしておりましたので、
もう戦いに行くこともないだろう。

年齢も28だし、お嫁さんを探して
結婚をさせようという話をしていました。

ところが終戦の年の3月に、
再び召集されて仙台から出征することになった
という電報が届いたんですね。

祖母は一目息子に会いたいと願って
夜汽車で仙台へ行き、特別に許されて
一晩だけお酒を酌み交わしてお別れをしました。

その翌日、息子を乗せた輸送船が出港していくのを、
祖母は仙台港から見送っていました。

ところがその最中に船は爆撃を受け、
祖母は目の前で最愛の息子を失ったんです。

それでも祖母は、泣きもせず
しっかりとそこに立っていたそうです……。

仙台でお葬式を終え、祖母は遺骨を抱えて
東京に帰ってきたんですけれども、
取り乱している祖父の傍らで、

祖母は蝋人形のように真っ白な顔をして、
それでも涙を流さず、遺骨を抱いて
静かにしていたそうなんです。

心の内の苦しみは
いかばかりだったでしょうか。

祖母は愛国婦人会の支部長をしていましたので、
身内を失った女性たちの面倒も見ておりました。

自分も苦しいんだけれども、
その苦しんでいる方々の辛さを
一身に背負っていたのだと思います。

自分の心の内はどうあれ、
決して動じないでいた祖母は、
本当に強い愛に溢れた人であったと思います。

祖母の言葉は、これほどの苦しみの中から
出てきたものだからこそ輝いているんですね。

祖母はよく、

「お天道様に見込まれていると思えば、
 辛いこともありがたい」

と申しておりました。

こんなにいろいろ辛いことがあるのは、
お天道様に見込まれているからだと。

辛いことを乗り越えさえすれば、
そこには必ず光があるということを
祖母は分かっていたんですね。

これは自分がより大きな幸福を得るため、
そして人間としてさらに大きくなるために与えられた、
神様からの、お天道様からのありがたいプレゼントなんだと
祖母は受け止めていました。

実家のお庭には梅の木がありまして、
冬になると祖母と一緒にそれを眺めるのを
私はいつも楽しみにしていました。

梅の花ってすごく綺麗ですよね。

何もないモノトーンの冬の景色の中で、
梅の枝にぽつん、ぽつんと花が咲き始めると、
とても高貴な香りが漂います。

祖母はまさに厳寒の中で咲く梅の花
のようであったと思います。

「腹をくくりなされ。
 何度だって、腹をくくって覚悟を改めなさい」

祖母は、夫を病で失って辛い生活を
余儀なくされていた長女にこう諭したそうですが、
恐らく祖母自身が、苦難の中で何度も何度も
腹をくくっていたのだろうと思います。

負けてなるものか、
何があっても動じるものか。

常々そう自分を戒めていたからこそ、
最愛の息子の死を目の当たりにしても、
静かにその事実を受け止め、
周囲の人たちを気遣うこともできたんですね。

辛い中でも花を咲かせる。
これが本物の女子力ではないかと思います。
 
2015.01.27

バナースペース

櫛田建設株式会社

〒979-0154
福島県いわき市沼部町鹿野43
Mail infous@kushida-web.com
TEL 0246-65-2311
FAX 0246-65-2313
定休日:土曜日・日曜日