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堕落したチームを闘う集団へと変えたもの 大八木弘明(駒澤大学陸上競技部監督) 正月の風物詩・箱根駅伝、この国民的大会の総合優勝6回を含め、 大学駅伝大会で21回の優勝を誇る駒澤大学。 “平成の常勝軍団”の異名を取る 強豪チームを率いるのが大八木弘明監督です。 かつて低迷していたチームをいかにして育て上げたのか――。 太田 大八木さんが駒澤に戻ってきた時は、 陸上部は大変な低迷期でしたね。 大八木 はい。当時私は現役を終え、 実業団のヤクルトでコーチをしていました。 それまで駒澤は29年間連続で箱根に出ていましたが、 平成6年には予選会で通過校最下位の6位。 かろうじて出場できたものの、 来年の出場は難しいだろうと言われていました。 そこで当時駒澤でヘッドコーチをしていた 高岡公さん(現・顧問)から、 「何とかしてくれないか」 と声が掛かりました。 高岡さんは私が24歳で大学に入った際、 何かと世話を焼いてくれた先輩でした。 母校への愛情というより、 恩のある高岡さんに頭を下げられ、 断れなかったというのがコーチに就任した本当の理由ですね。 太田 その方も大八木さんならと 見込まれていたんでしょう。 大八木 ここまで低迷したら、本当に陸上に対して 情熱のある人間じゃないと立て直せないと思ったそうです。 コイツから陸上を取ったら 生きていけないんじゃないかという情熱を、 私から感じていたんじゃないでしょうか(笑)。 そうして平成7年にコーチに就任しましたが、 もう練習時間の開始はバラバラ、 寮の門限はあってないようなもので、 食生活も自炊でインスタントラーメンを食べている学生もいて、 規則も何もあったものじゃない。 当然、箱根も出場できればいいなという程度で、 優勝なんて誰も考えていないようなチームでした。 太田 生活態度を改善するところから始めていかれたわけだ。 大八木 そうですね。 当時の体制として、 監督に私の学生時代の恩師である森本葵先生がいて、 ヘッドコーチに高岡さん、私はコーチの1人です。 森本先生は大学の仕事も請け負われていて、 現場を見たり見なかったりの状態で、 また学生も私と森本先生とどちらの指導を聞けばいいか 混乱している様子でした。 いま思うと本当に生意気だったと思いますが、 何とかしたいという思いが強く、先生に 「監督を絶対に優勝させますから、 現場の船頭を任せてください」 と言ったんです。 おそらく先生はカチンときたと思いますが、 「分かった、全部おまえに任せる」 とおっしゃっていただいて、 それから全面的に変革に入りました。 まず、自由参加だった朝練を6時に全員でやることに決め、 午後の練習は3時半から。 試合などやむを得ない理由がない限りは 授業に出席させ、門限の時間には 私が寮の玄関に立って取り締まりました。 |
2014.12.10 |
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