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法遠去らず 横田南嶺(鎌倉円覚寺管長) 身震いするような感動をもって話を聞くことは、 そう滅多にあるものではない。 ましてその話が、その後の一生にも 大きな影響を与えるようなものとなるとなおさらのこと。 この「法遠去らず」の一語は、 私にとって忘れられない感動をもって聞いたものである。 修行時代を支えた一語とも言えよう。 浮山法遠禅師(ふさんほうおん/991~1067)は 葉県(せつけん)禅師の弟子である。 この葉県禅師こそ、まさしく「厳冷枯淡」、 人情のかけらも許さないほどに 厳しい家風で鳴り響いていた。 その禅師のもとに、若き法遠は 修行に出かけて入門を乞うた。 古来禅門では容易に入門を許さない。 今日でも「庭詰」と称して、 玄関先で何日も頭を下げ続ける。 まして厳しさで有名な葉県禅師のこと、 幾日も入門を願うも許されない。 雪の舞うある日、ようやく葉県禅師が現れるや、 僧たちに頭から水をぶっかけた。 たまりかねた僧たちは皆去ってゆくが、 法遠は、 「私は禅を求めてまいりました。 一杓の水くらいでどうして去りましょうか」 と、留まって、初めて入門を許される。 ある時、法遠が典座(てんぞ)という、 料理の係を務めていた。 葉県禅師の「枯淡」ぶりは想像を超えており、 皆は飢えに苦しんでいた。 師の葉県禅師が出かけたのをよいことに、 法遠は皆のために特別の「油麺」をご馳走した。 ところが、ようやく馳走のできたまさにその時、 葉県禅師が予定より早く帰山された。 烈火の如く怒った葉県禅師は、 「油麺」の代金を法遠に請求し、 さらに三十棒くらわせて、寺から追い出した。 法遠の道友たちは、 かわるがわる師に許しを請うが聞き入れられぬ。 せめて外から参禅でもと願うも これも拒絶された。 法遠はやむなく町を托鉢して 「油麺」の代金を賄う。 ところが葉県禅師が外出すると、 法遠が寺の敷地内に居住しているのを見て、 更にその家賃も納めよと迫る。 容赦ない仕打ちだが、 法遠はそれにもめげずに、町をひたすら托鉢する。 ある日、葉県禅師が町に出ると、 黙って風雨に耐えて托鉢する法遠の姿を目にする。 そこで初めて法遠こそ真の参禅者だと言って、 寺に迎えて、自らの後継者とされた。 今の時代なら考えられないような ひどい仕打ちである。 それでもひたすら耐えぬいた 法遠の志を貴んで、 「法遠去らず」という逸話として伝えられている。 |
2014.11.03 |
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