過去の一語履歴を見ることが出来ます。
ごめんなさいね おかあさん 重度の脳性マヒの少年が、15年という短い生涯の中で たった一篇、命を絞るようにして書き残した詩 ごめんなさいね おかあさん ごめんなさいね おかあさん ぼくが生まれて ごめんなさい ぼくを背負う かあさんの 細いうなじに ぼくはいう ぼくさえ 生まれなかったら かあさんの しらがもなかったろうね 大きくなった このぼくを 背負って歩く 悲しさも 「かたわな子だね」とふりかえる つめたい視線に 泣くことも ぼくさえ 生まれなかったら ありがとう おかあさん ありがとう おかあさん おかあさんが いるかぎり ぼくは生きていくのです。 脳性マヒを 生きていく やさしさこそが 大切で 悲しさこそが 美しい そんな 人の生き方を 教えてくれた おかあさん おかあさん あなたがそこに いるかぎり 生まれた時から重度の脳性マヒで、全身が不自由、口も利けないやっちゃんが、 いのちのたけを託して作った詩です。 障害の程度の軽い子は、自分で詩を書くことができます。 文字が書けない子でも、手足の指や口を使って 電動タイプを打つことができます。 しかし、やっちゃんのように重度のこの場合は、 先生である私が抱きしめて、 やっちゃんが言いたい言葉だったらウインク、 ノーの時は舌をだすという 気の遠くなるような作業を繰り返してやっと前半部分ができた時、 やっちゃんのお母さんに見てもらいました。 読み終えてもお母さんは無言でした。 ただ目頭を押さえて、立ちつくし、 「やっちゃんが、これを・・・」 と、かすかに言われたように思います。 そのせり上がる思いが私にも伝わってきました。 「私の息子よ」 と呼びかけたお母さんの詩が届いたのは、すぐ翌日のことです。 今度は私が立ちつくしました。 わたしの息子よ ゆるしてね わたしのむすこよ ゆるしてね このかあさんを ゆるしておくれ お前が脳性マヒと知ったとき ああごめんなさいと 泣きました いっぱいいっぱい 泣きました いつまでたっても歩けない お前を背負って歩くとき 肩にくいこむ重さより 「歩きたかろうね」と 母ごころ 「重くはない」と聞いている あなたの心が せつなくて わたしの息子よ ありがとう ありがとう 息子よ あなたのすがたを見守って お母さんは 生きていく 悲しいまでの がんばりと 人をいたわるほほえみの その笑顔で 生きている 脳性マヒの わが息子 そこに あなたがいるかぎり |
2014.07.05 |
〒979-0154
福島県いわき市沼部町鹿野43
Mail infous@kushida-web.com
TEL 0246-65-2311
FAX 0246-65-2313
定休日:土曜日・日曜日