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天の声に耳を澄ませながら生きる 安岡定子(こども論語塾講師) 安岡 私が『論語』の中で好きな言葉を挙げるとしたら、 一つには「徳は孤(こ)ならず、必ず隣(となり)有り」です。 特に若い頃はこの言葉が好きでしたね。 自分に誠実に生きようとしたら、 時に孤独になることがあるかもしれないけれども、 そういう自分の生きる姿勢を見ている人が 必ずいて寄り添ってくれる、という教えは大きな励みでした。 ここ3、4年では、お子さんと『論語』を読み、 大人の方対象の講座を持つようになって、 何度も繰り返し『論語』を読む中で、 それまであまり響いてこなかった言葉が いきなり輝きを増し始めた、ということがたびたびあります。 その一つなのですが、孔子が 「私はもう何も語らないよ」 とポツリと囁くのを聞いた弟子の子貢(しこう)が 「先生が何も語らなくなったら、 若い僕らはどうしたらいいのですか」 と問い掛ける場面があります。 田部井 陽貨篇の一節ですね。 安岡 これに対する孔子の答えは 「四時(しじ)行われ百物(ひゃくぶつ)生ず。 天何をか言うや」 というものでした。 天が私たちに何か言葉で語ってくれるかい? 天は大きな存在で包んでくれるけれども、 言葉で何かを示してはくれないよ。 人間がどんなに愚かな戦いをしていたとしても、 四季は折々巡ってくるし、 その中で万物は生じ死んでいく。 その天の思いに耳を傾けなさい。 そうしみじみと子貢に語り掛けるのです。 子貢は、孔子の教えを100%受け止めようとした 頭脳明晰な弟子ですけれども、 孔子は 「言葉がすべてではない。 心を寄せるものを持っていたら、 教えてくれるものは周りにたくさんあるし、 自分も変わっていくことができる」 と伝えたかったのだと思います。 私は「自分が自分が」「何か上手くいかない」と思っている時に、 この章句を思い出すことがよくあるんです。 小さな自分の周りに優れたもの、素晴らしいものがたくさんあるのに、 それを感じ取る心が萎えているな。 あるいはお子さんの中にある、 言葉では表現できない素晴らしい感性を まだまだ自分は掴み切れていないな、と。 田部井 そういえば、あなたはいつか 「行くに径(こみち)に由(よ)らず」 という言葉も好きだと話していましたね。 これは諸橋先生がお好きな言葉でもありましたが、 大道を歩めという意味で、 いかにも安岡正篤先生のお孫さんらしいと思って感心したものでした。 安岡 田部井先生から教えていただいた言葉では 「与(とも)に言うべくして 之と言わざれば人を失う」 という一節もとても心に残っています。 「語り合うべき人と語り合わなければ、人を失う」という意味で、 だから私は貪欲に田部井先生に教えを請うているわけです(笑)。 田部井 出会いというのは本当に不思議です。 語り合うべき人と出会えた人は幸せだと思います。 よく不遇という言い方をしますが、 これは不幸という意味ではない。 大事な人と遇えない寂しさを言った言葉なんですね。 |
2014.06.18 |
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