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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.094a

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世界一の牛乳をつくろう
            石橋榮紀(JA浜中町組合長)
   
アイスクリームといえば、「ハーゲンダッツ」という方も
多いのではないでしょうか。
そんなハーゲンダッツの原料に
日本で唯一選定されている牛乳は北海道のJA浜中町で搾られています。

ハーゲンダッツが日本に進出した1984年、
アメリカからやってきた技術者が
全国各地の工場を見て回り、悉くNGが出る中、JA浜中町の牛乳は一発OK。

中澤 石橋さんはどういうきっかけで酪農の道に?

石橋 私の場合は、昔から実家が酪農をやっていましてね。
   ただ、弟が継ぐということで、
   私は高校の時から実家を離れて暮らしていました。

千葉工業大学に進んで、
工程管理や品質管理について学んでいたんです。

それがちょうど卒業の年に親父が倒れたんですよ。
その時、弟はまだ中学三年でしたから、これは無理だなと。
俺が帰って継ぐと腹を括りました。
昭和39年、23歳の時です。

その頃は酪農のことなんか何も分かりませんでしたから、
ひたすら猛勉強しましたね。
人生であんなに勉強した時期は他にないですよ(笑)。

中澤 一心不乱に打ち込まれたわけですね。

石橋 ちょうどその頃、高度経済成長期の真っ只中で、
   国が酪農経営の安定化を図るために、
   生産者に対して補給金を交付する法律ができたんです。

それでもう、それ行けどんどんで搾っていけと。
面白いように乳価が毎年上がっていきましたし、
非常に勢いのある時代でした。

ただ、それが昭和53年の第二次オイルショックで
急ブレーキがかかったんですね。

減産型生産調整によって、搾った牛乳の一割は
出荷しちゃならんと言われてしまったんです。
結局それは畑に持っていって肥料にするしかありませんでした。

その結果、メーカーも合理化を進めて、
私どもの地域にあった雪印乳業の工場は
昭和56年に閉鎖されてしまったんですね。

中澤 ああ、それまでの拡大路線から一転して。

石橋 この生産調整は北海道だけじゃなくて
   全国一斉にやられたわけです。
   これで牛乳が売れなくなってしまった。

その時私は農協の理事をやっていたんですが、
「おかしいよな。何で一律一割なんだ」という思いがありました。

確かにその頃の乳質レベルはそんなに高くはない時代でした。
でも、いいものをつくれば売れるはずだと。

よし、だったら「世界一の牛乳をつくろう」、
そう決意したんです。

中澤 おお、世界一ですか。

石橋 当時は、酪農家それぞれの勘や経験に頼って
   牛乳の生産を行っていました。

ところが、アメリカの酪農雑誌をとって読んでみると、
アメリカではすべての生産要素をきちんと見える化して、
数字やデータに基づいた経営をしていることが分かったんです。

中澤 生産要素というのは例えばどういう?

石橋 牛が食べるのは草ですよね。
   美味しい草を育てるには、
   適正な肥料を土に与えてあげる必要があります。

例えば、窒素肥料というのを過剰にやると草は苦くなる。
それを牛が食べると、血液が壊れていく病気に罹るんですよ。

だから、まずはこの土地の持っている力はどのくらいなのか、
逆に何が不足しているのかをきちんと分析する。

今度はそこに生えている草がどのくらい栄養分があるのかを調べる。
もしミネラルが足りなかったとしたら、
その不足分を購入飼料で補っていかなきゃなりません。

で、搾られた牛乳も一頭ずつ調べる。
牛乳の質は、中に含まれているタンパク質や脂肪分で決まるんですが、
その数値はどのくらいなのか。

そうするとその牛の持っている能力が分かるんです。
それをいかに高めていくかという分析、検査を
既に20年ほど前からアメリカではやっていました。

その頃、うちでも土壌の分析は希望者だけで
細々とやっていたんですね。

でも、これは本格的な施設をつくっていかなきゃならないと思って、
農協の理事会に提案しました。

中澤 反応はいかがでしたか。

石橋 いやあ、理解してもらえなかったですね。
   行政も農協もどこもかしこも反対なんです。

「農協がそんなものつくって、どうするんだ。
 お荷物になるじゃないか」と。

でも、私は「いや、これは将来絶対役に立つし、何がなんでもやる」と。

まあ、反対はありましたけど、地道に説得していきました。

それと、施設をつくるには全部で
約2億円の投資が必要でした。

これをすべて自前でやるのはきつかったものですから、
何度も道庁に通いましたね。

最後は私の熱意に向こうが根負けして、
ようやく補助金を確保できました。

昭和56年、2年がかりで
酪農技術センターを設立したんです。

石橋 酪農技術センターができた翌年、
   雪印が撤退したところに、タカナシ乳業という
   当時はまだ小さなメーカーが来ていただけることになりました。

その頃、ハーゲンダッツが日本に進出することになったんです。
当初アメリカから製品を持ってきて売っていたんですが、
国内でつくれないかということでまず国内の大手メーカーに話が持ち込まれた。

ところが、それぞれ自社のアイスクリームを持っていた上に、
ハーゲンダッツの求める温度管理がものすごく厳しいんです。

で、全部断られました。

ハーゲンダッツジャパンの出資先の一つである
サントリーとタカナシは少なからぬ縁があって、
「ところで、おたくはどうだ」と、こういう話になりまして。

ハーゲンダッツの技術者が神奈川、千葉、群馬、長野にある
タカナシの工場を全部見て回ったんですね。

しかし、こんな牛乳じゃつくれないと。

いやいや、実は北海道にもありますという話になって、
その時に連れてきたのが私どもの技術センターなんです。

中澤 どうだったんですか?

石橋 彼らはそれを見ただけで、
  「あっ、これがあるならオッケーだ」と。

なぜかというと、万が一でも変な製品ができてしまったら
一発でブランド力も信用も落ちる。

だから、絶対に瑕疵のある原料は使いたくない
というのが彼らの思いだったんですね。

そういういきさつで、ハーゲンダッツの原料に浜中の牛乳が
使われるようになったわけです。

タカナシはうちへ来る時は乳業メーカーの番付で84番目でした。
それがいまでは5番目になっているんです。

全国の農協が逆境に立たされている中、
数少ない勝ち組として成長を続けるJA浜中町。

石橋氏は就農者研修牧場を全国で初めて立ち上げ、
現在、全国各地から若い新規就農者が訪れるといいます。

また、酪農離れが叫ばれる時代にあって
ここ浜中町の酪農家の後継者率は70パーセント以上。

1万5千ヘクタールの広大な牧草地には
耕作放棄地が全くありません。
 
2014.05.11

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