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苦しい時こそ 目の前にチャンスがあり 自分自身が試されている 三森久実(大戸屋ホールディングス会長) オシャレな定食屋として、 女性客からも高い支持を集める 和定食チェーン「大戸屋ごはん処」 現在、全国に315店舗、海外に80店舗展開し、売上高230億円を超えます。 東京・池袋の大衆食堂だった一定食屋を グローバル企業へと育て上げた。 1970年代はマクドナルドが銀座に1号店を出店したり、 ファミリーレストランの先駆けであるすかいらーくのチェーン化が始まるなど、 アメリカのフードシステムが日本に進出してきた時期だった。 そういう時代の中にあって、 大戸屋食堂もチェーン展開をしていきたいと考えるようになった。 銀行の人に相談すると、 「まずお金を貯めてください」とのこと。 私は遊びに一切目もくれず、 毎日朝から晩までろくに休む間もなく、 必死になって働いた。 その結果、3年間で約7千万円の資金を貯めることができた。 その間、従業員を教育していったことで、 人材面の課題もクリアし、25歳の時に高田馬場、 28歳の時に吉祥寺にそれぞれ出店したのである。 おかげさまでどの店も多くのお客様にご利用いただき、 3軒の年商は5億円にも達していた。 こうして大戸屋のチェーン展開は成功を収めた。 ところが、20代で大金を儲け、 周りからもチヤホヤされたことで、 調子に乗ってしまったのだろう。 違う業態に手を広げ、 ファストフード店やお洒落な居酒屋を立て続けに出店した。 これが結局、大失敗に終わり、 本業である大戸屋の資金繰りを圧迫するところまで落ちてしまったのである。 養父の築いた基盤があったからこそ、 大戸屋は繁盛していたにもかかわらず、 自分には事業家としての才能があると錯覚してしまっていたのだ。 いつしか尊敬する養父が遺した店を繁栄させる という初志を忘れかけてしまっていたことに気づかされた。 大戸屋以外のことは全部やめて、 もう一度、原点に戻ってやり直そう。 そう決心した。 これが私の第二のスタートとなった。 それから再び現場に入り、 朝から晩まで仕事漬けの日々を送った。 来る日も来る日も、店と家の往復だけ。 東京から一歩も出ず、友達とも一切会わない。 そういう時期が数年は続いただろう。 1992年、35歳の時には、 吉祥寺店が火事で全焼するという惨事に見舞われ、 非常に苦しい経営状況に立たされたが、 その間も悩んでいる暇がないほど必死に働き抜いたことで、 不思議と目の前の状況は好転していった。 吉祥寺店を再建する際、 女性も入りやすいデザインに変えたことが 自分でも驚くような評判を呼び、 そこから僅か8年で50店舗にまで増やすことができたのである。 ゆえに、どんな時でも真面目に必死に努力し続けていれば、 必ず道は拓けるというのが私の実感である。 苦しい時こそ、目の前にチャンスがあり、 自分自身が試されているのだと思う。 |
2014.06.10 |
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