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人間は不可能を可能にできる 塩見志満子(のらねこ学かん代表) 愛媛県西条市にある 知的障碍者のための通所施設「のらねこ学かん」。 ここを自費で運営し、ハンディのある人たちの 人生の花を開かせている塩見志満子さん。 そんな塩見さんの人生は、 まさに試練に次ぐ試練の連続でした。 ――塩見さんはもともと学校の先生でいらしたのですね。 はい。だけど、私は本当は 「おまえは先生にはなれん」と言われていた人間なんです。 生まれたのは愛媛の農家で、 よく生きておられたなと思うほどの貧乏でした。 6人きょうだいの4番目で 「この貧乏な百姓だけは嫌だ。 何としても働いて大学に行きたい」 とずっと思っていました。 それで高校を卒業する時、担任の先生に 「先生のような国語の教師になりたいです」 と言うたら、即座に 「なれん。おまえのところは 貧乏だから大学には行けん」と。 昭和30年の話です。 その先生は続けて、 「それでもどうしても教師になりたかったら短大へ行け。 いま女性の体育教師が不足しとるから、 その資格が取れるかもしれん。 そして愛媛に戻ってきて、わしと一緒に教員をやろうや」 と言ってくださいました。 でもね、私は学校の授業で一番苦手なのが体育だったんです。 「先生、こらえて」と言いましたら 「そんな贅沢を言いよったら、教員になれんぞ。 百姓して貧乏に耐えるのか」 と言われて、 東京の日本女子体育短期大学(現在の日本女子体育大学)を受験しました。 幸いに合格できましたけど。 ――学費はどうされたのですか。 私の思いを知った船員の兄が 入学金を用立ててくれたんです。 授業料は近くの映画撮影所でエキストラのアルバイトをしたり、 寮の掃除や炊事の手伝いをして納めたのですが、 とても払いきれずに、後に東京で体育の教師をした1年半でようやく完納しました。 ――苦手だった体育は克服されたのですか。 短大に入った1年目は 「荷物をまとめて帰りなさい。 あなたはここにおっても卒業できん」 と何回も言われました。 だけど、不可能は可能になるものなんですよ。 「負けてなるか」と思って毎朝4時に起きて6時までの2時間、 誰もいない体育館でバレーボールやバスケットボール、跳び箱などの練習をしました。 そうしたら6か月後には皆から褒められる学生になったんです(笑)。 その時、心の支えになっていたのは 短大進学を勧めてくださった高校の担任の先生の言葉です。 先生はおっしゃいました。 「わしは30年間教員をしてきたけれども、 得意な教科の教員になると、苦手な生徒の心が見えん。 苦手な教科の教員になると、苦手な者の気持ちが分かる。 そうするとクラスの生徒は、皆おまえの授業が好きになるじゃろう。 騙されたと思ってそうしてみい」と。 ――それで、卒業後は東京で体育の教師に。 短大2年で中学校の教育実習に行った時、 その校長先生が 「どうか東京におって、 ここの教員になってくれ」 とおっしゃいましてね。 僅か2週間教育実習をしただけで 「先生、私は何も実技ができません」 と言ったんですけど 「おまえはここに必要とされている人間だ」と。 ――よほど気に入られたのでしょうね。 いまでは考えられませんが、学校がある世田谷の田園調布は ものすごく貧富の差が激しいところでした。 毎朝、車で送迎される子と、橋の下に住んでいるような子の両方が 同じ中学校に通っていたんです。 私は貧しい子供たちのために、 毎日おにぎりを握っていっては 「食べなさい。 私も同じように貧乏だったよ」 と手渡していた。 それをどこかで校長先生が ご覧になったのかもしれませんね。 |
2014.06.29 |
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