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焦点を定めて生きる 剣豪・塚原卜伝の逸話が教える人生の極意 塚原卜伝(つかはら・ぼくでん) 戦国時代に剣の聖地・常陸国鹿島に生まれ、 幼少より鹿島中古流の太刀を学び、17歳で武者修行の旅に。 生涯数多の真剣勝負や合戦に臨み、一度も負傷しなかったという伝説の剣豪。 子供の頃、虫メガネに太陽の光を集めて 紙を燃やした経験は多くの人が持っているに違いない。 太陽の光を一点に集中させてじっと固定していると 焦げ目の点ができ、かすかな煙を上げて広がり、 紙がにわかに燃え出す。 焦点をふらふらさせていてはこうはならない。 単純な遊びだが、この現象はそのまま、 人生のあり方を示唆しているように思える。 焦点を定めて生きないと人生は拡散し、 何の結晶も得ぬままに終わってしまう、ということである。 剣豪塚原卜伝にこんな逸話がある。 武者修行で全国を旅していた頃である。 大きな石が道を塞いでいた。 数人がかりでのけようとしたが、 びくともするものではない。 そこに石工がやってきて、 石の一点に槌を打ち込んだ。 大きな石はたちどころに割れた。 どうしてそういうことができるのか、と卜伝は聞いた。 「石には目があります。 そこに槌を当てるとたやすく割れます。 目でないところをいくら打っても 割れるものではありません」 それが石工の答えだった。 卜伝は大いに感じ入り、 剣の極意を会得したという。 焦点を定めることの大事さを教えてくれる話である。 二宮尊徳はまさに焦点を定めて人生を生きた人である。 尊徳は天明7(1787)年に生まれ、 70歳で生を終えた。 それは幕末の国家的動乱期で、 内憂外患の時代であった。 その時期に尊徳は貧困にあえぐ農民救済に焦点を定め、 国事を一切論じず、一滴の血も流さず、一発の銃弾も撃たず、 荒廃した全国600余村を復興し、 疲弊した藩の財政を再建した。 その根本は4つの教えに尽きる。 「至誠を本とし、 勤労を主とし、 分度を体とし、 推譲を用とす」 まごころを根本に置き、懸命に働き、 自分の分限に応じて暮らし、今年得たものは来年のために譲る。 子孫に譲り、社会に譲る―― この報徳思想の普及と実践が、偉大な成果を生んだのだ。 尊徳にはこういう言葉もある。 「それ我道は人々の心の荒蕪を開くを本意とす。 心の荒蕪一人開くる時は、 地の荒蕪は何万町あるも憂るにたらざるが故なり」 我が道は人々の心の荒蕪を開拓するのが本意である。 一人の心の荒地を開拓すれば、 土地の荒地が何ヘクタールあろうが心配することはない。 必ず開拓できる、というのである。 人心の荒蕪を開拓する―― この一点に焦点を定めて生きたのが尊徳の人生であった。 |
2014.05.06 |
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