過去の一語履歴を見ることが出来ます。
全日空で24年間客室乗務員を務め 天皇皇后両陛下や国賓などの トップViPをおもてなししてきた 里岡美津奈さん。 里岡 美津奈(人材育成コンサルタント) 国内線のチーフパーサーを 務めていた入社6、7年目の時、 あるフライトで出逢ったお客様のことは いまも忘れられません。 離陸の際、チーフパーサーは 全CAから安全の確認をもらって、 それをキャプテンに伝える。 そうすると、キャプテンが管制塔に 離陸準備完了の合図を出し、 管制塔から許可が下りると 離陸できるんですね。 だから、滑走路に着くまでに キャプテンにオッケーを出すことが、 チーフパーサーとしての 離陸前の重要な使命なんです。 ところが、あるフライトで 一人のCAから全然 オッケーが来ませんでした。 外を見たらもうすぐ滑走路に着くし、 キャプテンからも インターホンで催促されるので、 そのCAのもとに行ったんですよ。 そうしたら、ある夫婦連れの女性のお客様が お人形と一緒にベルトをしているので オッケーが出せませんと。 何度説明しても聞き入れてくれないと言うので、 どういうふうに説明したのか聞いたら、 「緊急の際に危険ですので、 お人形は隣に置いてベルトをしてください」と。 私は事の顛末を聞き、 お客様の様子を拝見した上で、 こう話し掛けました。 「お客様、本日はご搭乗ありがとうございます。 間もなく離陸いたしますので、 お子様を隣の空席に座らせて、 ベルトをしてもいいですか」と。 そうしたら、その女性は 「ああ、いいですよ」と言って、 普通にそのお人形を隣に置いてベルトをして、 ご自身もベルトをしてくれたんです。 大人の女性がお人形を手放さないというのは 異様ですよね。 何かよほどの事情があるんだなってことは 誰が見ても分かると思います。 で、そのCAと私の違いは 「お人形」と言ったか 「お子様」と言ったかです。 |
2017/10/11 |
照山 裕子(歯学博士) 口の中には、約1,000億~6,000億個もの 細菌が棲み着いているといわれます。 その細菌の中には、体に悪さをする ばい菌も潜んでおり、その格好の餌と なるのが、食後の食べかすです。 お口のケアを怠り、食べかすが 残っているとばい菌がどんどん集まり、 24時間で目で見ても 分かるくらいの固まりになります。 この固まりをプラーク(歯垢)といいます。 柔らかいプラークは歯磨きで 取り除けますが、完全に取り除ける 歯磨きができる人はごく少数。 プラークが残ると、2~3日で歯石になり、 もう歯磨きでは取り除けなくなります。 この歯石には餌やばい菌が とても付着しやすく、そこから 歯周病が引き起こされるのです。 けれどももっと怖いのは、 問題がそうした口の中の トラブルだけではすまないことです。 口の中で繁殖したばい菌は、 血流に乗って全身を巡り、 いろんな悪さをします。 これを歯原性菌血症といい、 血管にコブをつくって 動脈硬化の原因になったり、 脳梗塞、糖尿病、腎臓病、 アルツハイマー型認知症、骨粗鬆症等々、 口とは関係なく思われる 様々な疾患の一因となり得るのです。 心臓発作で運ばれてきた患者さんの 病巣を病理検査に出してみると、 虫歯菌が引き金になっていた といった例は、医療の現場では 頻繁に起きていることなのです。 私がいま、特に力を入れているのが 「毒出しうがい」の普及です。 ここでいう毒とは、体に悪さをする 口の中のばい菌や食べかすのこと。 食後にそれらを残さないよう、 しっかりうがいをしましょう という話なのです。 「えっ、うがい? そんなの当たり前にやってるよ」 とおっしゃる方も多いことでしょう。 けれども、実際にお口をすすいで いただいた後にチェックしてみると、 まだたくさん食べかすが 残っている方が大半です。 クリニックで患者さんに 「口をすすいでください」と お願いすると、水を口に含んで すぐに捨てる方、とてもおしとやかで ほとんど音をさせない方、 顔を上げてゴロゴロと喉のうがいを なさる方など、多くの方のうがいが、 口の中の汚れをほとんど 洗い流せないダメうがい。 これに対して、歯と歯の間や、 歯茎の境目などに残った食べかすや、 ばい菌をきっちり洗い流すのが 毒出しうがいなのです。 |
2017/10/09 |
明治45年生まれの教育者で、 その生涯を教育に捧げられた 徳永康起先生のお話。 横田 忠道(チャンプル整体院院長) × 西田 徹(豊岡市立府中小学校教諭) 【横田】 徳永(康起)先生のお言葉の中に 「濡れ落ちた実にも 必ず芽は出るものです」 というのがあります。 そして、教職に就かれる時、 お母様が 「人様の子どもさんを 大事にしなさい」 とおっしゃったそうで、 これらのことが先生の教育観の 根幹ではなかったかと思います。 別の言葉では、 「教師の目が日の当たる 子ばかりに向いて、 他の子が教室の隅に 取り残されるようなことが あっては許されない」 とおっしゃっていて、 特に家庭的に恵まれない子や 教室の隅で寂しそうにしている子に 光を当てようとされていました。 これは先生から聞いた話ですが、 私たちよりもだいぶ前に 受け持たれたクラスで、 「ナイフ盗難事件」があったそうです。 【西村】 どのような事件ですか。 【横田】 戦前の話ですが、 明日工作をするから ナイフを持ってくるよう クラスに呼び掛けたら、 翌朝、ある児童が自分の ナイフがないと言い出したそうです。 先生は 「ひょっとしたら、 あの子が盗ったのかもしれない」 と思った児童がいたんですね。 「運動場で遊んでおいで」 とクラス全員を外へ出して、 盗ったと思われる子の机を見たら、 やはりナイフが入っていた。 先生はすぐに裏口から 近くの文房具屋へ走り、 同じナイフを買ってきて、 盗られた子の机の中に、 本に挟んで入れておきました。 子どもたちが教室に帰ってきた時、 「もう一度、ナイフ探してごらん」 と言うと「先生、ありました」と。 「しっかり探さなければダメだぞ」 と言いながら、百分の一秒くらいの 時間で盗った子を見たら、 その子はじっと先生を見ていたそうです。 それから何年か経って、 時は終戦間近だったそうですが、 先生の元に一通の手紙が届きました。 そこには 「あの時、みんなの前で 先生に叱られていたら、 自分はろくな人間には なっていなかったと思う。 これからも自分のように 恵まれない子どもに、 どうぞ愛の光を当ててください」 と書いてあったそうです。 続けて、 「自分は明日、 沖縄へ向けて出撃します。 出撃しても先生のことは 一生忘れません」 と。つまり、遺書だったんですね。 |
2017/10/09 |
鈴木 秀子 (国際コミュニオン学会名誉会長) 生きる目的について 戦時中、南洋の国で 多くのイギリス人兵士が 日本軍の捕虜となりました。 敗戦の色が濃くなると、 日本軍はイギリス兵捕虜を 次々に殺害していきます。 そういう時、 一人の捕虜がポケットから 一枚の写真を取り出して、 さりげなく捕虜収容所の看守に見せました。 幼い子供が写った写真でした。 「我が家は貧しい。 子供たちのためにも、 私はここでいま死ぬわけには いかないんです……」 小声ながらイギリス兵にとって 精いっぱいの訴えだったのでしょうが、 この言葉は看守である 日本兵の心に響きました。 看守にも同じ年頃の子供がいたのです。 敵兵の笑顔に、 同じ父親としての素顔を見た看守は、 そっと扉を開けてその兵士を イギリス艦隊がいるほうに逃すのです。 お互いに命懸けの冒険でした。 程なくして上陸したイギリス軍によって 多くの日本兵が殺される中、 看守の男性は英語ができたために 通訳として生き延び、 無事日本に帰国しました。 国を裏切ったという自責の念から 男性を救ったのは、 死をも覚悟で我が子の写真を見せてくれた イギリス兵の屈託のない笑顔でした。 母国イギリスで 幸せに生きる家族の姿を思い浮かべる時、 男性の心は満たされたと言います。 そして、時を経て 二人は涙の再会を果たすのです。 |
2017/10/09 |
〒979-0154
福島県いわき市沼部町鹿野43
Mail infous@kushida-web.com
TEL 0246-65-2311
FAX 0246-65-2313
定休日:土曜日・日曜日