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一語履歴WORD vol.300b

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一語履歴 vol.300
どれだけ 300a影あり 300b父親の役割 300c言葉には
一語履歴 vol.299
魂のお世話 299a英語が 299b寝たきり社長 299cそれはホープ
一語履歴 vol.298
痛いよね 298a結果は 298b耐えるもの 298c鉋くず
一語履歴 vol.297
チームで共有 297a身を捨てる 297b咲くもよし 297c天からの一本の糸
一語履歴 vol.296
一流になるために 296aおいしく 296b長所に 296c与えられた仕事
一語履歴 vol.295
あの人は神様 295aミスにも真摯に 295b光と闇は 295cアンテナが錆び
一語履歴 vol.294
抜いている草も 294aやっておいて 294bクオリティ 294c私ほど
一語履歴 vol.293
自分の心の 293a何を捨てるか 293b人生の五計 293c失敗しない人間は
一語履歴 vol.292
砂を嚙むような 292aマインドを 292b相対感からの 292c可愛がられる
一語履歴 vol.291
必ず用あり 朝は日の出と 291a企業は 291b経験が強烈な
父親の役割
        木原 武一(評論家)

生まれながらにして類まれなる才能を秘めていたピカソ。
その才能がいかんなく発揮された背景には、
自らの絵筆をきっぱりと捨てた父の存在がありました。

学校へ上がってからも、ピカソは絵ばかり描いていた。

教科書の余白は絵で埋め尽くされたが、
読み書き計算はまるでできず、アルファベットの
順序を覚えることすらできなかった。

ピカソがなぜそこまで絵を描くことに夢中になったかといえば、
画家の父親がいつも絵筆を握っているのを見ていたからである。

幼い頃の環境がピカソの才能を育んだのである。
彼の家族は、決して絵を描くことを禁じたり、
勉強を押しつけたりはしなかった。父親は、
息子ほどの画才があれば必ず将来立派な画家になるだろうと
期待を寄せ、母親も、我が子は何をやっても最高の能力を
発揮するだろうとその将来を信じて疑わなかった。

一家を挙げてピカソの才能を称賛して止まなかったのである。

ピカソが10歳になると、父親は自分が教師を務める
美術学校に我が子を入れ、学校でも自宅でも徹底的に
絵の基礎を教え込んだ。生涯に2万点もの作品を描いたピカソだが、
実は描いたデッサンの数も膨大であった。

父親のもとで徹底的に基礎を養ったからこそ、
ピカソはその才能を大きく開花させることができたのである。

そうした父と子の関係は、ピカソが13歳の時に転機を迎える。

ピカソが描いた鳩の絵を見て、我が子が自分の力量を
凌駕していることを悟った父は、自分の絵筆を息子に譲り、
以来絵を描くことを一切やめてしまったのである。

ピカソが幸せだったのは、同じ絵の道を歩んでいた父親が、
我が子の才能を素直に認め、いたずらに矯正しなかったことである。
教えることばかりが父親の役割ではない。
我が子の素質が開花するよう温かく見守ることも父親の役割であり、
愛情の表現であると私は思う。
 
2018.05.17

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