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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.296

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会社に共通してる点...
「新経営の神様」の呼び名が高い稲盛和夫さん。
自らも創業期から仕事に燃え、懸命に働いていた
稲盛さんですが、社員さんを前に「働くことの大切さ」
について、いつも誠心誠意説かれていたと言います。

稲盛 和夫(京セラ名誉会長)

──いまから7年前、京セラの伊藤謙介相談役を
  取材させていただいた時に、「東京オリンピックが
  開催されていることを知らなかった」と聞いて驚いたのですが、
  稲盛名誉会長もご存じなかったですか?

いや、知らなかったことはありません。知っておったと思いますけれども、
関心はありませんでした。それくらい仕事に燃え、懸命に働いていたのでしょうね。

その頃、私は「まず工場を構えた地元の西ノ京原町一になろう。
次は中京区一、その次は京都一、そして日本一、さらには世界一だ。
我われは世界一の企業になろうではないか」と壮大な夢を語って、
それこそ「狂」がつくほど凄まじい勢いで働いていました。

毎日夜10時、11時まで仕事をしていたのですが、
ラーメンの屋台のチャルメラが聞こえてくると、
皆で食べに行って、そこからまたもうひと頑張りする。

工場に何日も泊まり込んで仕事をしていたものです。
まさに寝ても覚めても、仕事に没頭していました。

──働くことの大切さをよく社員さんに語られたそうですね。

働くということは、生きていく糧を得るためのものだ
というのが一般的ですけれども、そうではなくて、
自分の人間性を高めていくためになくてはならないものです。
一所懸命働くことによって、自分自身の心を高め、
自分の人生を精神的に豊かなものにしていく。
同時に、収入も得られますから、物質的な生活も豊かになっていく。
ですから、働くということは大変大事なことだと思っています。
 
人は得てして、恵まれた環境にあっても、
与えられた仕事をつまらないと感じ、不平不満を口にしがちです。
近年、若者の離職率が増加しているのもそういう理由なのでしょう。

しかし、それで運命が好転するはずはありません。
与えられた仕事を天職と思い、その仕事を好きになるよう
努力していくうちに不平不満は消え、仕事も順調に進むようになっていく。
そして、物心共に豊かな素晴らしい人生を送ることができるのです。
 
2018/04/03

モーニング娘。をはじめ、AKB48など数多くの
アーティストを育ててきた振付師の夏まゆみさん。
その指導を受けてきた教え子たちがこぞって
「怖いけど愛がある」と語る夏さんの気になる指導論。

夏 まゆみ(ダンスプロデューサー)

──指導の際に心掛けてこられたことはありますか?

指導の鉄則として、とにかく一対一で向き合うこと。
私は団体の指導が多かったんですけど、一対大勢ではなく、
一対一が人数分あると考えレッスンしてきました。

例えば、1999年に発売されたモーニング娘。の「LOVEマシーン」。
これは事務所もスタッフも総力を挙げてつくった楽曲で、
この時13歳の新加入メンバーを一番前に出して売り出す
フォーメーションを考えました。でも、その子は緊張と
先輩たちへの遠慮から、なかなか前に出てこない。

その時「大丈夫、自信を持って」というのは
一般的な言葉掛けで、一対一を意識するとこうなるんです。

先輩たちの前で「確かに先輩に遠慮する気持ちはあるだろうけど、
ステージ上では全く関係ない。いいから、先輩たちを食ってしまえ。
でも、楽屋に戻ったらちゃんと敬意を払うんだよ」。
最後には「先輩のお弁当までは食っちゃだめだよ」と冗談を入れながら(笑)。

一方、それまでセンターを務めていた子には、
「君がいなかったらいまのモーニング娘。はいない。
そして、これからも君がいないとモーニング娘。ではないんだ」と。
 
他のメンバ―にも各自の長所に光を当てる声掛けに努めました。

──そうした努力が積み重なって、「LOVEマシーン」は
  累計164万枚のミリオンセラーを達成できたのですね。
 
2018/04/02

福岡市内で92歳のいまも料理教室を開いている

桧山 タミ(料理家)

母親として女性として、健やかな体をつくるための家庭料理こそ、
私が心から伝えたい料理の道だと思っているんです。

女の人って賢くて強いんです。でも、優しさが足りない。
だから優しさを学ぶために女に生まれてきた。
反対に男の人は優しいから、強くなるために男に生まれてきたんです。
だから男は強くならないかん。女は優しくせないかん。

人に優しくするには、そばにいる大事な人たちを
温かく応援してあげればいい。そのために女の人は料理をするの。
そうやって命を愛おしむんですね。男女平等なんて言われるけど、
やっぱり男女にはそれぞれ役割があるんです。

私の姉たちはお嫁に行った先で、
ほんとにおいしい料理をつくっていました。

子供の頃に時々食べに行くと、
おいしい料理をいっぱいつくって出してくれて、
こんなふうに私もつくれたらいいなっていうのは子供心に思っていました。
だから私もお嫁に行ったら、おいしいものをたくさんつくろうって。

でも、それって難しいことでもなんでもないわけでしょう。
料理一つで喜んでもらえるんだから、つくればいいんですよ。
皆どうしてつくりたいと思わんのか、私はそれが不思議だったんです。

──それが桧山さんの料理づくりの、まさに原点ですね。

とにかくおいしく食べてもらうのが基本です。
だからきちんとお皿に並べてとか、体裁を整えるとかじゃなくて、
例えば天麩羅なら、揚げたそばから「はい、こっち来て来て。
いまが一番おいしいよ」って言って食べてもらうの。

おかしいでしょう。私って本当に世の中のこと知らないから、
それでここまで生きてこられたんだなと思います(笑)。
 
2018/04/02

選手として3度オリンピックの舞台に立ち、
監督としても久光製薬スプリングスを率いて、
常勝チームへと育て上げ得た中田久美さん。

中田 久美(バレーボール全日本女子監督)
    ×
高倉 麻子(サッカー日本女子代表監督)

【中田】
山田先生には31歳で現役を引退するまでずっとお世話になっていたので、
私にとってはお父さんに近い存在でした。
実の父のことはよく分からなくても、
例えば山田先生がドアをガラッと開けた瞬間に、
「きょうは機嫌が悪いぞ」とかいうことは、すぐに分かるんです(笑)。

【高倉】
山田先生からはどんな指導を受けられたのですか?

【中田】
よく言われたのは、「一流になるためには、一流の人と話し、
一流の物を食べ、一流の物を身につけなさい」ってことでした。

だから海外遠征の時には、例えばオペラを観に行くとか、
その国の歴史や文化に触れられる時間を必ずつくってくれたんです。

高校は通信制だったので学校にはほとんど行かずに、年に半分以上は海外遠征でした。

大学進学という選択肢もありましたけど、バレーの道を選んだのは、
「大学に行って勉強することはもちろん大事だけど、
バレーの世界を通じて一流を経験することも、
中田、これは誰にでもできることじゃないぞ」っていう山田先生のひと言でした。

直接言われたことではなくても、
例えば「自分の人生は自分でつくらなければいけない」など、
いまこうして指導者になってみて、あぁこういうことを
先生は私に伝えたかったのかなっていうのがたくさんあり過ぎて、
すごく影響力のある人だったと思います。
 
2018/03/29

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