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あの人は神様や 平田 雅彦(松下電器産業元副社長) 松下幸之助の名前は知られていますが、 幸之助を陰で支え続けた“大番頭”高橋荒太郎のことはあまり知られていません。 高橋さんを思う時、日の当たらない部分で厳しい役回りを引き受け、 社を支えていた姿が脳裏に浮かびます。 戦後、事業部の中で業績が伸び悩んでいたモーターや蓄電池などの部門を担当し、 再建に導いたこともその一例です。 しかし、その最たるものと言えば、何と言っても労使問題でした。 松下では戦後しばらくの間、労使紛争が起きることはありませんでした。 しかし、昭和30年代初頭、他の大手企業の激しい闘争の波は松下にも押し寄せ、 労使の関係が次第に険悪になっていったのです。 このことは、従業員を家族のように思って育んできた創業者をとても苦しめました。 経営の神様と言われた創業者も、 この時ばかりはなかなか気持ちの切り替えができなかったといいます。 そこで、組合との交渉を一手に引き受けたのが高橋さんでした。 高橋さんは持ち前の粘り強さによって組合と交渉を重ね、 その中で信頼関係を築き上げていきました。 しかし、その髙橋さんをしても交渉に行き詰まる例があったのも事実です。 昭和33年、ベースアップを巡ってどうしても折り合いがつかず、 直接談判という組合側の要求に創業者が応じることになったのです。 委員長、書記長を前に創業者はこのように語りかけました。 「わしは高橋さんから相談を受けているから、 組合との交渉はすべて高橋さんに任せているんや。 高橋さんくらい会社のことを考え、従業員のことを考え、 組合のことを考えている人はおらんで。 あの人は絶対に手練手管はやらん。あの人は神様や。 わしはいつも高橋さんの後ろ姿を拝んでいるんや」 以上は当時の書記長で後に取締役になった高畑敬一さんが書き留めた言葉ですが、 これを聞いた組合幹部は創業者と高橋さんの信頼が これほどまでに強固なのかと驚き、いたく感動するのです。 結果として組合はすぐに要求を取り下げ、交渉は妥結しました。 高橋さんが海外担当の副社長になった後も、 組合側との最終交渉は常に高橋さんの役目でした。 高橋さんが出てこない限り、組合側は決して納得しません。 それは一方で、高橋さんが創業者だけではなく 組合員からも厚い信頼を得ていた証左でもありました。 |
2018.03.24 |
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