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これからは絶対に英語が必要だ 新浪 博士(心臓外科医) サントリーHD社長の新浪剛史さんを兄に持ち、 自らは心臓外科医として国内屈指の手術数を誇る 新浪博士さん。そんな兄弟二人ははどのような 家庭で育ったのか。 ──実際にお父様から影響を受けられたこととして、 どんなことが挙げられますか? これは兄弟ともに言えることですが、一番に影響を受けたのは英語です。 親父は英語がものすごく好きだったんですよ。 どこかアメリカに対する憧れのようなものがあったのかもしれません。 親父は高校卒業後に明治学院に進んでいて、 その頃から一所懸命英語を勉強していましてね。 戦後は横浜の港にある運送会社に勤めていて、 米軍の人たちとの仲介役を任せられていたんです。 それもあって、僕たち兄弟が小さい頃から、 「これからは絶対に英語が必要だ」ってよく言っていました。 兄が中学校に入る頃には、小さな黒板を買ってきてくれて、 週末になると近所の子供たちも集めて英語を教えてくれたんです。 ──それは本格的ですね。 内容的にはほんの初歩的なレベルでしたけど、 当時は小学生で英語をやるなんてことはなかっただけに、 僕は興味を持って聞いていました。 僕が中学校に進学する頃になると、 ちょうどテレビで音声二か国語放送が始まっていて、 親父が専用チューナーを買ってきましてね。 ニュースや映画を英語で聞くわけです。 でも、僕にはまだ全然聞き取れないから、 「勘弁してくれ」ってよく喧嘩になりました。 それにFENという在日米軍向けのラジオ放送もよくかかっていましたから、 よく言えば新浪家はすごく英語環境に恵まれていた。 別の表現をすると、洗脳教育に近かったと思います(笑)。 中学生の頃には、よく親父と近所を30分くらい散歩していたのですが、 英語の試験前になると、その道すがらリスニングとか スピーキングについて指導を受けていましてね。 親父の英語は独学で、日本語訛の発音だからうまくなかったんですけど、 よくダメ出しされながら教えてもらっていた記憶があります。 ──英語が親子の間の潤滑油のような役割だったわけですね。 そのおかげもあって、群馬大学医学部在学中に 2か月くらいアメリカに行く機会を持てましたし、 医局に入って3年目にしてアメリカに2年、 オーストラリアに3年留学する機会を得ることにも繋がりました。 その当時留学自体まだ稀なことでしたけど、人一倍、 英語圏に行きたいという気持ちがあったからこそ実現できたようなもので、 そのモチベーションの源は間違いなく親父の存在でしたね。 |
2018.05.03 |
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