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それはホープ 早藤 眞子(ピアニスト) 渡部 玄一(チェリスト) 渡部 基一(ヴァイオリニスト) 【玄一】 それにしても不思議なのは、僕たちの前で修養という言葉を 口にする人ではなかった父が、晩年になるにつれて 修養への関心が高まっていったことです。 父とは伊豆のジュース断食施設に一緒に行く機会もあって、 まとまった時間をともに過ごすことも多かったのですが、 いま考えると本当にもったいなかったなと。 この修養ということについても、もっと聞きたいこと、 教わりたいことがいっぱいありました。 僕の喪失感はそこからも来ているような気がしているんです。 【基一】 父の生き方ということでお話しすれば、2015年4月、 関西で母がピアノの演奏をした時、父と二人で新幹線に乗って 大阪の会場に行く道すがら、私はアメリカ留学中に就いていた ユダヤ人のヴァイオリンの先生から教わったことについて父に話をしました。 父と私の二人だけの旅行はそれが最初で最後だったのですごく印象的でした。 そのユダヤ人の先生から「基一、君は人生で最も大事なものは 何だか知っているのか」と聞かれ、「それはホープ、希望だ」と。 その「ホープ」という言葉は、親族がホロコーストによって 殺害されてしまった先生にとっては腹の底から出た言葉だったんです。 で、父にその話をしたら「そうだよな、人間というのは 希望がなければ生きられないな」としみじみ感じ入って言ったんです。 そして、いまつくづく父の人生は常に希望を抱いて、 そこに向けて前進していく人生だったのではないか、 という感慨を深くしているんです。 それから、あまり食べ物を受けつけられなくなっても、 父は「俺はこれまで不機嫌な日は一日もなかった」と何度も言っていましたね。 ふて腐れたり、機嫌が悪くなって難しい顔をしたり、 というのが自分でも一切なかったというんです。 特に最後の一年は病院の医師や看護師ばかりか、会計のスタッフの人にも 「ありがとう、ありがとう」と言っていてまるで聖人のようでした。 【眞子】 本当にそうでしたね。 【基一】 私たちが父の車椅子を押したり、タイヤを拭いたりしている姿を見ながら、 父は秘書さんに時折何かを言っていました。 何だろうと思って家内とも不思議がっていたのですが、 「これをしっかり見ておきなさい」と言われた、と秘書さんは 話してくださいました。それはきっと「家族の絆というものは こういうものなんだよ」ということだったのだと思います。 ですから、希望と感謝、さらに家族の絆。これらが父の人生を 貫いた柱ではなかったかと私は息子の一人として感じています。 |
2018.05.04 |
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