過去の一語履歴を見ることが出来ます。
抜いている草も生きている 千 玄室(茶道裏千家前家元) 山折 哲雄(国際日本文化センター前所長) 私は1943年、21歳の時に海軍で飛行士官となり特別攻撃隊に移って戦闘訓練を始めました。 ここではいよいよ出撃となると、要務士官が来て名前を読み上げる。 呼ばれた六、7人が6時間後、午前零時前後に沖縄に向けて飛び立つのです。 士官が来るたびに「明日は我が身か」という思いで毎日を過ごしておりました。 出撃となっても、誰も泣いたり喚いたりということはありませんでしたね。 早暁戦友を見送るのですが、飛び立ったが最後誰も帰ってこない。 座布団が一つずつ空いていくのを見ますと、なんともやりきれない気持ちにかられました。 私は出撃する前に待機命令が下りましてね。死ぬ一歩手前で三途の川から戻ってきたのです。 ですから京都に帰りましても、 「死に損ないの自分は胸を張っては歩けない」「戦友に申し訳ない」という 忸怩たる思いが消えることがありませんでした。 自分の存在は一体何だろうと思ったら、非常にいやになりましてね。 大学を出ると、大徳寺の僧堂に入りました。 ここで後藤瑞巖老師に就いて修行をさせていただいたことが、人生の大きな転機になりました。 坐禅と作務に明け暮れる日々でございましたけれども、 戦後の物不足の中での一汁一菜の生活でしたから、 坐禅の最中にカレーライスが出てきたりハンバーグが出てきたり、考えるのは食べ物のことばかり(笑)。 腹が減って腹が減って、餓鬼道とはこのことかと思いました。思考能力もないまま修行をしていたのです。 で、ある時、庭の草取りをしていましたら瑞巖老師が立っていらして 「いま、あなたはどういう気持ちで草を抜いてるのや」と。 私は腹が空いて嫌気ばかりで、その質問には答えられませんでした。 その時に老師がこうおっしゃったのです。 「抜いている草も生きているのや。 生きているのやから、草に対してすいません、 すいませんという気持ちを持たなあかんよ」 この言葉を聞いて私はハッとしたのです。生きて帰ってきたことは何も恥ずべきことではない。 生かされて帰ってきたからこそ、仲間の分まで頑張らねばならないのだと。 目から鱗と申しますか、修行に本腰が入るようになったのは瑞巖老師のこの一言からでした。 翌年から海外を回って、平和のためにお茶を普及しようと決意したのも、 この言葉によるところが大きゅうございましたね。 |
2018.03.18 |
〒979-0154
福島県いわき市沼部町鹿野43
Mail infous@kushida-web.com
TEL 0246-65-2311
FAX 0246-65-2313
定休日:土曜日・日曜日