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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.294c

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一語履歴 vol.300
どれだけ 300a影あり 300b父親の役割 300c言葉には
一語履歴 vol.299
魂のお世話 299a英語が 299b寝たきり社長 299cそれはホープ
一語履歴 vol.298
痛いよね 298a結果は 298b耐えるもの 298c鉋くず
一語履歴 vol.297
チームで共有 297a身を捨てる 297b咲くもよし 297c天からの一本の糸
一語履歴 vol.296
一流になるために 296aおいしく 296b長所に 296c与えられた仕事
一語履歴 vol.295
あの人は神様 295aミスにも真摯に 295b光と闇は 295cアンテナが錆び
一語履歴 vol.294
抜いている草も 294aやっておいて 294bクオリティ 294c私ほど
一語履歴 vol.293
自分の心の 293a何を捨てるか 293b人生の五計 293c失敗しない人間は
一語履歴 vol.292
砂を嚙むような 292aマインドを 292b相対感からの 292c可愛がられる
一語履歴 vol.291
必ず用あり 朝は日の出と 291a企業は 291b経験が強烈な
私ほど県民の力になれなかった知事はいない
              岡田 幹彦(日本政策研究センター主任研究員)
              服部 剛(横浜市立公立中学校教諭)

【岡田】
私がもっと多くの日本人に知ってもらいたいと思っている一人が、
「島守の神」として沖縄の人々から敬慕される
戦前最後の沖縄県知事、島田叡(あきら)ですね。

【服部】
島田叡は立派な方ですね。

【岡田】
島田は沖縄戦直前の昭和20年1月に43歳で沖縄に赴任し、
文官にもかかわらず、県民と運命を共にして自決した立派な人です。
ただ沖縄では有名でも、本土ではあまり知られていません。

その島田が沖縄県知事になったきっかけが本当に立派なんです。

これから沖縄は戦場になるということで、
現職の知事が職務を放棄したため、急遽後任を決めることになりました。
ところが「死にたくない」と皆断るんです。

それで最後に、当時大阪府の内政部長をしていた島田に
お鉢が回ってくるわけですが、彼は「私が行かないなら、
誰かが行かなければならない。自分は死にたくないから、
他の誰かが行って死ねとは言えない」と、
即座に知事を引き受ける決断をするんですね。

【岡田】
沖縄県知事として赴任した島田は、目覚ましい働きをします。
その一つが県民の疎開です。犠牲を少なくするため、
島田は沖縄本土にいた約49万人のうち、
22万人の人々を僅か2か月で疎開させるんです。
結果的には、約10万人の県民が亡くなりましたが、もし島田の努力がなければ
犠牲者は2倍にも3倍にもなっただろうといわれています。

【服部】
大変な功績ですね。

【岡田】
そうしていよいよアメリカ軍との戦闘が始まると、
本土から来ていた民間人の避難も始まりました。
その時、親しかった新聞社の支局長が訪ねてきて
「知事さんは軍人ではないのだから、
沖縄県民と最期を共にしなくてもよいのではないか」と言います。
しかし島田は次のように答えます。

「知事として私は生きて帰れると思うかね。
県民がどれだけ死んだか知っているだろう。
私ほど県民の力になれなかった知事はいない」

そしてその言葉のとおり、島田は沖縄に残り、
自決して県民と最期を共にしたと。島田の生き方は、
役人や指導者のあるべき姿の手本です。
 
2018.03.21

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