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その姿は必ず誰かがどこかで見ていてくれる 清原當博(ホテルオークラ東京会長) 日本のホテル御三家の一つと称されるホテルオークラ東京。 出世街道とは言い難い配属先でスタートを切り、 そこから同ホテルの社長兼総支配人にまで上り詰めたのが清原當博さん 10年間も一つの部署にいるのだから、 この先もずっと料飲部門でやっていくのだろう。 そう感じていた矢先、 営業部へ異動になった。 聞くと、あるトップセールスマンが 事故で急死してしまったのだという。 その後継者として、 なぜか私が任命されたのだ。 それまでの守りの仕事から一転して 攻めの仕事に変わった。 もちろん経験はゼロ。 突然の出来事だったため、 引き継ぎの資料も情報もほとんどない。 ただ企業名だけを与えられ、 「とにかく外回りして 自分でリストをつくりなさい」 と丸投げされた。 「何で10年選手の俺が、 いまさら全然違う部署に異動するのか」 と普通なら違和感を覚えてしまうだろう。 しかし私は、これはまたとないチャンスだと捉え、 がむしゃらに企業を訪問していった。 最初の担当は外資系企業だった。 その多くが土日休みで、 月曜から金曜はフル稼働。 当時は外資系の大手金融機関等が 日本に進出してきた頃で、 連日のようにパーティーが開かれていた。 そのため、右も左も分からない状態だったが、 次第に宴会や宿泊の受注を獲得することができるようになった。 すると、今度は 「外資だけではなくて芸道も担当してくれ」 と、声が掛かった。 これは茶道や華道、日本舞踊などの会合を承るもので、 土日がメインの仕事だ。 平日は外資担当、土日は芸道担当と二足の草鞋を履き、 休日も取れない状況の中で数年間働いた。 それでも体力的にきついと感じることはなく、 むしろ掛けてくださる期待に応えたいという一心で燃え立っていた。 そうやって一所懸命打ち込んでいくことで、 次々と新しい仕事を任せていただけるようになった。 この時、攻めと守りの両輪を経験できたことが 財産となっていることは間違いない。 ただし、それは自分から手を挙げて やらせてもらえるものでもなければ、 誰もが経験できることではないだろう。 「いま目の前にある仕事、与えられた役割を一所懸命、 必死に真摯に取り組んでいれば、 その姿は必ず誰かがどこかで見ていてくれる」 これは私の実感であり、 真理であると自負している。 |
2014/09/09 |
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