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海上自衛隊かく闘えり 高嶋博視(海上自衛隊元横須賀地方総監) 3年前の東日本大震災で 死と隣り合わせの状況の中、 目覚ましい活躍を果たしたことは 記憶に新しいでしょう。 1万6千人の隊員を指揮した元横須賀地方総監の高嶋博視さんが語った 生存者の救助は時間との闘いです。 海を生活の場とする我われは、 その意味を体で知っています。 食糧、とりわけ飲料水の確保が困難であり、 かつ小雪がちらつく気象条件下では4日が勝負です。 吉村昭さんの『三陸海岸大津波』によれば、 昭和8年の大津波では多数の凍死者が出たと記されています。 我われは一人の未発見者、 一人の凍死者も出してはならない、 との思いで海岸線を徹底的に捜索し、 孤立者の発見・救助に努めました。 3月12日、護衛艦「たかなみ」が 石巻みづほ第二幼稚園の屋上で 震えている先生と園児11人を発見し、 内火艇で救出しました。 「たかなみ」が大量の瓦礫をものともせず 果敢に湾内に進入していったため発見できたものであり、 艦長以下、乗員の士気の高さを示すものでした。 それにしても、幼子が氷点下の屋上で一晩頑張りとおしたこと、 生きることを信じて子供たちを励まし続けた先生の使命感に感心しました。 よほどおなかがすいていたと見え、 救助された園児は乗員が準備した カレーライス2杯をぺろりと平らげると、 すぐに眠りに就いたそうです。 園児たちが送り便の都合で2泊する間、 屈強な乗員たちにはその健気な姿が我が子の姿とも重なり、 彼らが退艦する時には皆涙を流したといいます。 後日同園の教頭先生から届いた 丁重なお礼状にさらに感激しましたが、 現場ではこうしたドラマが数え切れないほどあったのです。 救助に際し、海上からは小回りが利く小型の艦艇、 内火艇、ゴムボートで瓦礫をかき分けて湾内奥に進入。 ヘリコプターのパイロットや小型ボートの乗員が どれほど無理をして行動したかは想像に難くありません。 救援活動の際、水中浮流物による 艦艇の損傷が頻発しました。 加えて海中には多数のロープや漁網の類が流れており、 多くの艦艇がプロペラや推進軸等に巻き付けて損傷。 その度に潜水員が海に潜り、 ナイフでこれを取り除くのですが、 巻き付いたものを切断・排除するには何時間も要しました。 日が経つにつれて生存者の救出が困難になり、 隊員たちはご遺体の捜索という厳しい任務に涙を堪えて臨みました。 彼らを支えていたのは、 少しでも多くのご遺体をご家族の元に返してあげたいと いう優しい気持ちに他なりません。 |
2014.07.21 |
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