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ギリギリまで追い込まれるとアイデアは湧いてくる」 望月正彦(三陸鉄道社長) 昨年、NHKの人気朝ドラ『あまちゃん』でも脚光を浴びた 岩手県の三陸海岸沿いを走る三陸鉄道。 東日本大震災で甚大な津波被害を受けたものの、 今春、107キロの全線開通を成し遂げました。 僅か3年という短期間での全線開通は “奇跡の復活”と称され、 東北の方々をはじめ日本全国に勇気と希望を与えています。 ――危機的状況の中、社員さんの心を一つにまとめ、 復旧に当たるのも大変ではありませんでしたか。 当社は臨時職員、パートを含めて80名の従業員がいますが、 家を流されたり、家族を失った者も多くいます。 被害が甚大だったこともあって最初はパニック状態というのか、 多くの従業員が列車を動かそうという気力すらなかった というのが正直なところです。 震災の2日後、部分運行再開でいくぞ、と 私が檄を飛ばした時も反対する幹部がいました。 「余震が続いています。 身内も亡くなり気持ちが動揺して それどころではありません」と。 そういう彼らに私は 「列車を動かすことで助かる人がいる。 いまこそ三鉄が頑張らなくてどうするんだ」 と懸命に思いを伝えていったんです。 でも、一番の力はやはりお客様ですよ。 お客様の「ありがとう」という言葉ほど 力強い励ましはありませんでした。 数多くのありがとうが従業員の心を掴んで、 一つにしたといってよいと思います。 ――列車が動いたことへの感謝の思いが溢れていた、と。 私は開通前の試運転のたびに、 一つだけ指示を出したんです。 それは警笛を鳴らしっ放しで走れ、 ということでした。 これは誰かが線路を歩いている可能性があるためでもあるのですが、 もう一つは三鉄が動き出したことを 住民の皆さんにお知らせするためです。 田老駅の周りで瓦礫の片付けをしていた人たちが 警笛の音に思わず立ち止まって、満面の笑顔で手を振ってくれた。 そういう光景は生涯忘れられませんね。 鉄道が動き出すというのは 日常が戻るということなんですね。 警笛はまさに希望の音色だったわけです。 再開の区間を延ばしていくほど、 皆さんの感動は一層大きくなりました。 それは全線再開に懸ける我われにとって 何よりの励ましであり、喜びでもありました。 ――業績のほうは回復しましたか。 3分の1の距離しか運行できなかった頃は さすがに厳しかったですね。 実際の輸送量は10分の1にまで減り、 運賃収入も大きく落ち込みました。 だけど、窮すれば通ずといいますが、 ギリギリにまで追い込まれるといろいろなアイデアが出るものです。 ――アイデアが。 例えば、私どもは旅行業の資格を持っていますから、 三鉄で津波被害現場を視察する被災地フロントライン研修というツアーを企画しました。 1泊2日の基本料金が2万8千円でしたが、 23年度は3千名以上の方に参加いただいて、 これが結構な収入になりました。 それから一番よかったのは「運行再開祈念レール」という、 流失した線路の切り売りです。 レールを10センチと5センチの幅で切って木の台座に乗せ、 シリアルナンバーを打った真鍮のプレートを付けて 5万円と3万円で売り出したのですが、 準備した200個が1日で完売しました。 要望に応じて400個を追加で作ったら、 これも即座に売れ、運賃以上の収入が得られたんです。 ――鉄道ファンの方が買われたのですか。 私もそう思っていたのですが、 実は年配の方が多かったんです。 かつて三陸を旅されたことのある方々が 義援金のつもりで買い求められたようですね。 この他にも、クウェート国からの支援の一部をいただいて8台の車両が購入できたり、 大手カード会社さんが私どものグッズを販売してくださったりと、 到底伝えきれないくらい多くのご支援をいただきました。 私どもが今日あるのは、そういう皆様の善意のおかげなんです。 |
2014.07.08 |
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