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毎年この季節になると思い出すひとりの少女 その少女とは、「君が躍る夏」という映画のモデルとなった堀内詩織ちゃん。 今年も「よさこい祭り」がやってきました。 踊り子たちがそれぞれに工夫をした踊りを観客に披露しながら 大通りを練り歩く、高知一番のお祭りです。 その踊り子の中に、我が子・詩織を見つけました。 小さな体で懸命によさこいを踊る姿・・・ いつの間にか、私は涙が溢れ、 その姿が見えなくなっていました。 詩織が小児がんと分かったのは、いまから7年前の3歳の時です。 幼稚園の健康診断で検尿をしたら 「タンパクが下りている」と言われ、 近くの病院で再検査を受けたのが始まりでした。 再検査の結果、告げられたのは「腫瘍」ということでした。 悪性か良性かはまだ分からないが、とにかく右の腎臓が動いていないから、 早急に入院して手術をしましょうと言われたのです。 入院して3日目、その日は詩織が楽しみにしていた幼稚園の夕涼み会でした。 なぜなら、お遊戯があるからです。 「おそらくこれから長期入院になりますから、行ってきたらどうですか」 と、先生に勧められ、参加して踊ったのが、 詩織にとっての最初の「よさこい」でした。 高知では「よさこい」が1番大きなお祭りです。 子供たちは皆、物心つかぬうちから大人たちに抱っこされて見ているので、 「よさこい」を踊ることは高知っ子の夢でもあります。 詩織もそうでした。 まだ3つでしたが「よさこいを踊りたい、踊りたい」といつも言っていたのです。 夕涼み会でよさこいを踊る詩織の姿は、とても楽しそうでした。 詩織の入院は2年余り続きました。 わずか3歳の子供にとってつらい生活だったのではないかと思います。 詩織は、自分が悪性のがんであり、しかも生存率が低いということを知っています。 それは告知をしたというよりも、私自身がとにかく病気に関する情報を得たいと 様々な学会などに顔を出していたことから、いつの頃からか自然と気づいていたようでした。 もちろん、本人もすべてを受け入れているわけではなく、体調に異変があれば 「自分も死ぬんじゃないか」と不安を顕わにすることはあります。 しかし、 「あなたは大丈夫。何があっても私が守るから」 と抱きしめながら、今日まで歩んできました。 そんな詩織が地元高知でも有名なよさこいチームである「ほにや」に入ったのは7歳の時です。 激しい運動は禁止、体育の授業も見学と先生に言い渡されていたのですが、 入院している時から「よさこいを踊りたい、踊りたい」 と言っていたのです。 もし真夏のよさこい祭りで踊ったりしたら、炎天下の中、 かなり体力を消耗することになりかねません。 「そんなことしたら、あんた死ぬかもしれんで」思わず口をついて出た言葉でした。 しかし、詩織はまっすぐ私を見返してこう言ったのです。 「死んでも構ん、踊りたい」 一瞬、言葉を失いました。 わずか7歳の娘が死んでもいいから踊りたいと言う、その意志の強さに驚いたのです。 そして、あの日心に決めたことを思い出しました。 「そうだ、詩織の望むすべてのことをさせてあげると決めたんだ」。 私は「ほにや」さんに入会を頼みに行きました。 県内屈指の人気チームですから、受かるとは思っていなかったので、 病気のことは伏せて申し込みました。 しかし、合格したからには黙っているわけにはいきません。 社長さんに「踊っている途中で道端で倒れてもいいから、 やらせてあげてください」とお願いしました。 そうして7歳で迎えたよさこい祭り。 詩織は「ほにや」の踊り子としてよさこい祭りに参加しました。 一番のメインストリートである追手筋に入ってきた詩織の姿を見た時は号泣しました。 それまではいつも、どこでも「いつ死ぬか、いつ再発するか」 と、病気のことばかり考えてきました。 しかし、いま詩織がこの大歓声の中で楽しそうに笑って踊っている。 それは詩織の命が精一杯の輝きを放っているように見えました。 「ああ、これが生きているという実感なんだ」と感じました。 今年、4回目の「よさこい祭り」を踊っている詩織を見て、 ああ、成長したなとしみじみ思いました。 実は、詩織の発病と同じ頃、実母が冠動脈の手術で入院していたのですが、 今年、またステントを入れるために再び入院することになりました。 ある時、詩織が車椅子を押して母を移動させていた時、 母のお手洗いが間に合わない時があったそうです。 詩織は黙って汚した場所をきれいに拭いて、母をおトイレに連れて行き、 下着を替えて、病棟に戻ってきたと言います。 驚いた私が「看護師さんを呼びに行ったらよかったじゃない」と言うと、 「私がいない間におばあちゃんを一人にして何かあったら困るじゃん」 と言いました。 「いつの間にこんなに成長したの?」と胸が熱くなりました。 もしも普通の子供だったら、「汚い」といって、同じような行動はしないかもしれません。 おそらくずっと病院にいた詩織には、自分も周りの人たちからたくさん お世話をしてもらって生きてきたという思いがあるのだろうと思います。 同時に私も、詩織がこういう病気でなかったら、他愛ない問題にぶつかって悩んでは、 くだらない話をしながら生活してきたかもしれません。 また、「人は必ず死ぬ」ということを意識せず、何も考えずに生きてきたのではないかと思うと、 詩織の病気から人生で大切なことをたくさん教わったと思っています。 もちろん、いまも健康な体を授けてあげられなかったことを申し訳なく思うし、 できることなら代わってあげたい。 しかし、代わりのいない自分の人生を精一杯生きている娘の姿から、 「生き抜く力」と「使命」というものを感じることは少なくありません。 「もしかしたら、この子だからこの病気になったのかもしれない」と、いまは思うのです。 発病から7年、5年後の生存率ゼロパーセントという宣告をこの小さな体で撥ね返しました。 しかし、いまもがんは完治したわけではないし、貧血で朝起きられないこともある。 不整脈も出始めて、いつどうなるか分かりません。 それでも「よさこい」となると、「私、大丈夫。踊る!」と言って元気に踊り出します。 「死んでも構ん。踊りたい」 あの言葉を思い出すたび、人間の心の強さ、決意のすごさを感じずにはいられません。 そしてその発心の強さが、医学の常識を覆し、奇跡を呼び起こしたのだと思うのです。 詩織はいま、「大人になって“ほにや”の一列目で踊って、 よさこいのインストラクターになりたい」 という大きな夢を持っています。 一方、私はというと、正直いまが夢の中なんじゃないかと思う時があります。 私たちには、詩織が小学校に上がることすら夢のようでした。 それが「せめて発病から5年を超えたい」 「せめて10歳まで生きてくれたら」……。 そんな私たちの夢を詩織はずっと叶え続けてくれています。 私たちにとって、生きるとは決して普通の出来事ではありません。 朝起きることも、ごはんを食べて歯を磨くことも、「有難い」世界です。 「生きている」という有難い、夢のような日々を積み重ねて、 これからの詩織の成長を見守っていきたいと思っています。 堀内志保 (がんの子供を守る会 高知支部代表) |
2014.08.06 |
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