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いまこの瞬間を一所懸命に生きる 横田南嶺(円覚寺管長) 臨済宗の大本山として知られる鎌倉円覚寺。 730余年の歴史ある名刹で管長を務める横田南嶺老師が語った 横田 白隠(はくいん)禅師のお師匠さんだった 正受老人(しょうじゅろうじん)は 厳しい修行をされた方ですが、 晩年に村人相手にやさしい言葉で生き方を説かれたのが、 有名な「一日暮らし」です。 人間の一生、どんな辛いことがあっても きょう一日の辛抱だと思えば耐えられるし、 逆に嬉しいことがあってもきょう一日と思えばそれに耽ることもない。 誰でも、きょう一日、目の前のことであれば頑張れる。 きょう一日一所懸命やればいいと。 そうして最後に、 「一大事と申すは 今日只今(こんにちただいま)のこと」 と締め括っています。 境野 心に染みる説法ですね。 実は、私は人生の目標って立てたことがないんです。 ただ「縁」だけは大事にして、 いつもそれに精いっぱい報いてまいりました。 そうしたら、思いがけず素晴らしい出会いに恵まれ、 東洋思想の本を30冊ほど書かせていただくことができた。 ただひたすらご縁に従ってやっているうちに、 こういう自分になったんです。 いまの若い人の中にも、目標が立たないと言って 悩んでいる人が多いんですね。 そういう青年たちには、俺も目標を持たなかったよ。 だけど人の縁を大事にして、「今日只今」を一所懸命やってれば 人生は開けていくんだよと申し上げるんです。 横田 「今日只今」というのは素晴らしい教えですね。 以前、一緒に修行した仲間が心臓の病気で病院に運ばれて、 一命は取りとめたんですけれども、 これまでのことが思い出せなくなって悩んでいたんです。 そこでこの 「一大事とは今日只今の心なり」 という言葉を書いてあげたんです。 「今日只今」生きてるんだから、 よかったんじゃないか。 「今日只今」が一番大事だと。 幸い、徐々に思い出して復帰しましたけれども、 あの時はつくづく、これは大変な意味の深い言葉だと思いました。 我われは過去のことにこだわりがちですけれども、 それよりも「今日只今」こうして呼吸をしていることの素晴らしさ。 それは自分の力ではなく、 大きな力の働きによって生かされている。 これ以上の大事、素晴らしいことはないと。 あの一件でこの禅語の理解が一層深まったのです。 境野 「前後裁断」という禅語もございますね。 明日と昨日を切って、今日一日を生きよと。 高い目標達成のためプレッシャーを受けている人も、 「今日只今」自分のやるべき仕事に集中すれば、 余計なストレスももらわないし、結果も自ずとついてくると思います。 横田 私が35歳で円覚寺の師家になった時、 その若さで師家なんかになって大丈夫かとよく言われました。 私はその度に大丈夫ですと。 ただ朝起きてお粥を食べ、 お経を上げて坐禅をする。 私の仕事はそれだけですからと。 お粥の時間になったらお粥を食べ、 お経の時間になったらお経を読み、 坐禅の時は坐禅をして寝ればいいんだと。 別に師家として認められようという考えはありませんからね。 それをやってるうちに気がついたら 今度は管長になっていたんです(笑)。 ですからきょうはきょうで、 とにかく境野先生にお目にかかって お話を聞けばいいんだと思って、 これをしっかり楽しませていただいているわけです(笑)。 境野 それが「今日只今」を生きることなんですね。 |
2014.07.22 |
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