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どん底の人生を変えた一輪の椿との出逢い 片岡鶴太郎(俳優・画家) 鈴木 以前、鶴太郎さんとお会いした時、 画家になるきっかけとなった一輪の椿の話を 聞かせていただいたじゃありませんか。 あの話は感動的で、折に触れて思い出すんです。 きょうはぜひ、鶴太郎さんご自身がどういう夢を持って 歩んでこられたかをお聞かせいただけませんか。 片岡 僕の場合、子供の頃に好きな道が見つかったので、 高校を出ると迷わず師匠に弟子入りして芸人になりました。 お笑いの世界ではある程度、名前が知られるようになりましたが、 30歳くらいになると、子供の頃から好きだったボクシングを どうしてもやっておきたいという思いが湧いてきましてね。 プロライセンスを取れるのが33歳までだったものですから、 32歳の時、この1年間で肉体と精神をそぎ落とし、 もう一度、人生を立て直そうと決意したんです。 それで、ちょうどボクサーとしてのライセンスを取ったあたりから、 役者のほうに少しずつ転向を図るようになりました。 というのも、物まねだけだと限界があるし、 せっかく何かに扮するのなら人間の不条理だとか、喜怒哀楽だとか、 そういうものが表現できる役者になりたいと考えたんです。 鈴木 そして、絵の道に進まれるきっかけが椿だった。 片岡 ええ。ちょうど40歳になる少し前くらいから、 仕事も過渡期かなと感じるようになっていたんです。 表現しようのない心の焦りというのか、 朝起きた時に鉛をのんだような重たさがあるんですね。 とても切なかったり悲しかったりするんだけど、 その原因が自分でも分からない。 鬱々とした日が続いていました。 2月の寒い朝でしたけれども、 朝5時にマネジャーが迎えに来て、 玄関を出るとふっと何か後ろで気配がして、 見たら赤い花だったんです。 それが椿という名前だとは知らないくらい、 それまでの僕は花に疎い男でした。 だけど、その時は、 「うわー、こんなに朝早く誰も見ていないのに、 よく君咲いているね」 と思わず語り掛けていました。 寒さの中、凜として咲いている椿の姿に 息が詰まるほどの感銘を受けたんです。 こんなにも僕を感動させてくれるこの椿を 何とか表現できないかと考えました。 だけど、役者として椿を演じろと言われてもそれは無理だし、 音楽や詩の才能もない。 その時、心の中で、 「絵だな、絵だな」 という声が湧いてきて、 それに突き動かされたんですね。 鈴木 それまでにも絵をお描きになっていたのですか。 片岡 まともに描いたことなんかありませんよ(笑)。 だけど、これはボクシングを始めた時もそうでしたが、 人生の転機を迎えた時、僕の中にいる“腹の主”が 「おまえはこれをやるんだ」 と激しく突き動かすんです。 そうしたら 「そうですか。じゃあ分かりました」 と言う他ない(笑)。 すぐに文房具屋さんに行って道具を取り揃えて 椿を描いてみたんですが、そりゃ酷いものでした。 「やっぱり駄目だな」と 呆れるくらい稚拙だったんです。 普通なら撤退するところでしょうが、 もしこれを手放したらまた鉛をのむような毎日が始まるかと思うと、 絵にすがる他ありませんでした。 それにしても出会いとは不思議ですね。 その頃僕は、タモリさんと月に1回、 銀座に飲みに行っていたんですけれども、 タモリさんが、 「鶴ちゃんね、あそこに座って飲んでいる人は 挿絵とか番組のタイトルバックなんか描いている 画家の村上豊先生なんだけどね」 と言うんです。 僕、画家と称される人と こんなに近くになるのは初めてでした。 これ、偶然と思えないでしょう。 「ぜひ紹介してください」と言って 3人で飲んだんですけれども、 この村上先生との出会いがあったから、 きょうまで絵を続けてこられたと思っています。 初めてお会いした時、 「先生、絵が上手くなきゃ 画家になれないですよね」 とお聞きしたら、 「いや、そんなことはないですよ。 あなた方の商売だってそうでしょう。 演技ばかり上手い役者よりも、 下手でもその人物になりきっている役者のほうが よっぽど説得力がある。 私はそういう役者が好きですよ」と。 この言葉には絵を描く上で 随分救われてきました。 |
2014.09.06 |
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