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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.200

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一語履歴 vol.200
士大夫 200aルイス・フロイス 200b勝海舟 200c関は人間を磨く
一語履歴 vol.199
日本料理 199a幼い娘 199b汲み取り屋 199c松下幸之助師匠の教え
一語履歴 vol.198
視座を高める 198a小泉八雲 198b孔子が求めた 198cこれは素人の論文
一語履歴 vol.197
分かれ道 197a一流と二流の差 197b視座を高めて 197c積み重ね
一語履歴 vol.196
ありのまま 196aプロの掃除道 196b小さなリーダー 196c実力を発揮
一語履歴 vol.195
和太鼓 195a笑いによって 195b音楽療法 195c空間デザイナー
一語履歴 vol.194
不便さ 194a成長する時 194b目の輝き 194cマツダの快進撃
一語履歴 vol.193
立ち直り 193a歴史の遺訓 193b向上心 193c腑に落ちた知識
一語履歴 vol.192
明治生まれ 192a誠意を尽くした 192bプロの仕事 192c時間の創造主
一語履歴 vol.191
乗り越えられる 191a最善の努力 191b最大の逆境 191c鬼の口
士大夫三日書を読まざれば

黄山谷(こうさんこく)の言葉

「士大夫三日書を読まざれば
 則ち理義胸中に交わらず。
 便(すなわ)ち覚ゆ、面目・憎むべく語言、味なきを」

立派な人物でも3日、
聖賢の書を読まなければ、
本当の人間学的意味における
哲理・哲学が身体に
血となり肉となって循環しないから
面相が下品になり、
物を言っても言葉が
卑しくなってしまうような気がするものだ、
と安岡正篤先生は説明されています。

吉田松陰は「士規七則」の中で
「人古今に通ぜず
 聖賢を師とせずんば
 即ち鄙夫(ひふ)のみ。
 読書尚友は君子のことなり」
と言っています。

読書を通じて古今の聖賢を師として学ばなければ
卑しい人間になってしまう、ということです。
 
その松陰に、こういう逸話があります。
安政元年3月27日、
松陰は金子重輔(しげのすけ)と共に
伊豆下田に停泊していた
アメリカの軍艦に乗り込もうとして失敗し、
下田の牢につながれます。

一夜明け、松陰は牢番に
「昨夜、行李(こうり)が流されてしまって、
 手元に本がないから、
 何かお手元の本を貸してくれませんか」
と頼みます。

牢番はびっくりして

「あなたたちは大それた密航を企み、
 こうして捕らえられて獄の中にいるのだ。
 どうせ重いおしおきを受けるのだから、
 こんな時に勉強しなくてもいいのではないか」

この牢番の言葉に松陰はこう言うのです。

「凡(およ)そ人一日この世にあれば、
 一日の食を喰らい、
 一日の衣を着、
 一日の家に居る。
 なんぞ一日の学問、
 一日の事業を励まざらんや」

(ごもっともです。
 それは覚悟しているが、
 自分がおしおきになるまではまだ時間がある。
 それまではやはり一日の仕事をしなければならない。
 人間というものは一日この世に生きていれば、
 一日の食物を食らい、
 一日の衣を着、
 一日の家に住む。
 それであるなら、一日の学問、
 一日の事業を励んで、
 天地万物への御恩に報いなければならない。
 この儀が納得できたら、
 ぜひ本を貸してもらいたい)

この言葉に感心して、牢番は松陰に本を貸します。
松陰は牢の中で金子重輔に向かってこう言ったといいます。

「金子君、
 今日このときの読書こそ
 本当の学問である」

渡部昇一先生の付記

「牢に入って
 刑に処せられる前にあっても、
 松陰は自己修養、勉強をやめなかった。
 無駄といえば無駄なのだが、
 これは非常に重要なことだと思うのである。
 いくら成長しても
 最後には死んでしまうことに変わりはない。
 この<どうせ死ぬのだ>という
 わかりきった結論を前にして、
 どう考えるのか。
 松陰はどうせ死ぬにしても最後の一瞬まで
 最善を尽くそうとした。
 ……これは尊い生き方であると思う」

腹中に書をもって生きた松陰の
面目躍如(めんもくやくじょ)たる話です。
 
2016.05.15

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