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      次代に輝く住まいを創る

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〒971-8134 福島県いわき市鹿島町飯田字八合22

一語履歴WORD vol.191

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一流の男の背景...
一流の男の背景には必ず
母親からの影響がある──。

財界の巨人・土光敏夫の
背景にもまた、母・登美の影響が
色濃くあったといいます。

◆ 土光敏夫の母の言葉 ◆

出町 譲(作家・ジャーナリスト)

登美の生きる姿勢は、
土光(敏夫)の生き方と
多くの面で重なるところがある。

例えば、非行を行った
女子生徒三人に対して
退学処分が下されようと
していた時のことだ。

当時校長だった登美が

「退学処分は許しません。
 その娘たちは私が預かります」

と言い切って、
教室に寝具を運び込んで、
その生徒たちと学校の中で
寝食をともにしたことがあった。

当初、非行を働いた生徒たちは
口を固く閉ざしたままだったという。

登美も自分から話し掛けることはなく、
校長室でただ読経していた。

数日後、子供たちのほうから

「先生、いったい私たちは
 何をしたらよいでしょうか」

と尋ねてきたその瞬間を、
登美は逃さなかった。

その後急速に登美に
打ち解けた生徒たちは、
素直になり掃除に勉強、
そして読経まで進んで
やるようになったという。

土光もまた、いかに周囲から
不良社員だというレッテルを
貼られた社員に対しても、
そんな社員こそ自分の部下にしたい
ということを述べている。

作物と同じように早く芽が出る
人間もいれば遅く出る人間もいる。

どんな人間であろうとも、
人を切らない登美の姿勢は
土光にも受け継がれていた。

どれだけ年を重ねようとも
次世代のためにという思いで、
骨身を惜しまずに学校建設に
打ち込んだ登美の姿勢もまた、
80歳を超えて日本の国家財政の
立て直しに尽くした土光の姿と重なる。

「人間というものは
 生涯にせめて一度、
 『鬼の口』に飛び込む
 思いをしなければならない。

 そういう機会を持たずに
 人生を終えるのは、
 恥ずかしことだ」

とは登美の言葉だが、
まさに学校建設は登美に
とっての「鬼の口」だった。

土光の場合、何度も
「鬼の口」に飛び込んでいるが、
これとて母の教えに
忠実であらんがためにしてきた
ことだったのではなかろうか。
 
2016/02/29

早川徳次(とくじ)という経営者を
ご存じでしょうか。

いま話題になっている
大手電機のシャープの
創業者にあたる人物です。

◆ 人生最大の逆境を乗り越える ◆

北 康利(作家)

大正12年9月1日午前11時58分、
近代国家となって以来、
経験したことのない
強烈な地震が首都圏を襲った。

お昼時だったため、
そこここで火災が発生し、
その熱風が渦をまいて
強烈な上昇気流となった。

徳次の家のある本所の
あたりは蒸し焼き状態となり、
家も工場も一度に失った。

そして彼の家族である。

火が出た際に子供たちをかばったため、
妻・文子は全身に大火傷を負っていた。

炎と熱風に追われるようにして
油堀(深川にある十五間川の通称)の
中へと避難し、流されないよう
堀の中の杭にすがりついた。

6歳になる克己をおぶって
9歳の煕治をかかえているのはつらい。

だが、いくら待っても
火の勢いは収まらない。

意識が朦朧(もうろう)としてきた。

ふと背中が軽くなったと思ったら、
背中の克己が流されていった。

慌ててつかまえようと
手を伸ばした途端、
こんどは煕治が流されていった。

もう錯乱状態である。

その後、どこをどうさまよったのか、
避難所となっていた岩崎別邸で
徳次と再会した時には、
息も絶え絶えになっていた。

「すみません、子供たちを……」

そう苦しそうに言うと、
あとはただ泣くばかり。

そして彼女も、この2か月後に
子供たちの後を追って
あの世へと旅立つのである。

妻と子供、家と工場、
すべてを一瞬で失っただけではない。

そこにさらに追い打ちをかけるように、
大阪の日本文具製造という
会社(中山太陽堂の子会社)が
借金を返すよう迫ってきた。

財産を失った徳次に返す当てはない。

やむなく会社を解散し、
シャープペンシルの特許を
無償提供し、製造機械を
その会社に売却することにした。

その点、彼は実に潔かった。

借りた金は何としても返す。

それは商売の基本である。

今の自己破産や会社更生法などは、
更生しやすいものの、商売に甘えが
出てしまうのは間違いないだろう。

特許は入手したものの、
日本文具製造に技術はない。

そこで震災の年の12月、
徳次は新天地の大阪へと旅立ち、
彼らの技術指導を始めることとなった。

そして技術指導にめどが
立った後の事業再開の根拠地として、
大阪府東成郡田辺町大字猿山25番地
(現在の大阪市阿倍野区西田辺)の
235坪の土地を10年契約で借りた。

現在、シャープ本社がある場所である。

工費はざっと2,500円。完成した8月末日、
日本文具製造を辞して再起の旗を揚げた。

このとき徳次30歳。

新しい工場に「早川金属工業研究所」
という看板を掲げたのは、
震災からちょうど一年後の
大正13年9月1日のことであった。

彼はあえてこの日を
再出発の日に選んだのだ。

人生最大の逆境にも耐え、
彼は再び立ち上がろうとしていた。

もしここで心折れていたとしたら、
現在のシャープはない。

給料を出せるかどうか
分からない状態にもかかわらず、
徳次を慕って多くの従業員がついて来た。

晩年、彼は揮毫を頼まれた時、
“何糞(なにくそ)”と書くことが
あって人を驚かせたという。

負けじ魂がふつふつと湧き上がっていた。
 
2016/02/27
「“最善の努力をする”
 ――六〇六回失敗する
   根気とおろかさと愛情」

能力でありますが、
偉大な発見というものは、
素晴らしい頭と同時に、
素晴らしいおろかさを
兼ね備えておらんと
できないものであります。

それはこの前、ちょっと申しましたが、
サルバルサン六〇六号という化学療法を
発見しました

パウル・エールリヒは、
六〇六回薬をつくり直すという
根気さとおろかさ、しかし六〇六種の薬を
考え出そうという頭の力がありました。

大事なのは頭の力と根気の強さです。

私に頭の力は仮にないにしても、
それなら六〇六回やり直す
おろかさと根気があるかと申しますと、
残念ながらはっきりとあると
答えられんのであります。

それほどの経験を持っておりませんから
答えられませんが、
まあなかなか六〇六回失敗をするごとに
むしろ勇気を出して六〇六回
新しい薬をつくった。

それもいい加減につくるのではありません。
頭の中で考え抜いた結果
つくるのであります。

しかもそのひとつの薬には
そのたびごとに
容易ならん動物実験が
ついておるのであります。

ですから六〇六回薬をつくったと
いうだけでなくて、
それをさらに実行している人が
あるのであります。
そういう苦労がされておる。

六〇六回も新しい薬を考え出す能力、
脳の力。
この頭の力、あるいは俗に言うよい頭と、
しかもおろかさとを兼ね備えておってこそ
初めて六〇六号ができたのであります。

現在の、抗生物質の大半は
みなそうであります。
五千種、六千種、一万何千種なんていう
世界中の土地から土を集めて、
それから先は学問的な知恵が
いるのであります。

そういうふうな最新の精密な研究の
工程の一部分は
文字通りめくらめっぽうであります。

世界中のものを集めて、
その土をベースにすることによって、
その中にペニシリンとか
アウレオマイシンとか、
現在使われている抗生物質が
あるのであります。

現在の抗生物質の研究法を見ますと、
そういうふうなおろかさの極地と賢さの
極地とが結び合っているのでありますが、
同時にそこには学者の最善の努力が
あるのであります。

頭だけがよくても駄目だし、
根気だけがよくても駄目であります。

頭と根気とそれに最善の努力、
もうひとつ仕事に対する愛情、
あるいは研究に対する愛情が、
偉大なる発見につながるということが
いえるのではないでしょうか。

とにかくいずれにしても
ハチマキ姿の努力は
最善の努力とは言いかねるものが
多いのであります。

長い視野をもって、環境の条件とか、
自分の条件とかを見極めて、
しかも目的を明らかにした最善の努力、
そしてそれとともに目的に対する愛情が
あるのだろうと私は思います。

どうかみなさん、抗生物質を
よくお飲みになると思いますが、
その後ろにはそれだけの学者の努力が
あるということを忘れないでください。
 
2016/02/27

◆ 壁は必ず乗り越えられる ◆

石渡 美奈(ホッピービバレッジ社長)

私にとっての二十代、それは自分が
どう生きればよいのかに悩み、そして
壁にぶち当たってばかりの時代でした。

「躓(つまず)くのは歩いている証拠」

これは以前、尊敬する先生から
いただいた言葉ですが、
人生において躓くのは
歩いている証拠、つまり
躓くということは成長している
証拠だというのです。

だからどんどん躓きなさい、
ただし転ぶ時は前向きに、
後ろ向きには転ぶな、
とも教えていただきました。

最近社内に新卒で採用した
若い人が増えたことから、
その行動を観察しているのですが、
伸びる子というのは、
概して音を上げない、
そしてよい意味で
悩んでいるということです。

石の上にも3年とはよくいったもので、
下積みの3年間、
理不尽なことがあっても、
ぐっと歯を食いしばって
頑張れるかどうかが大切です。

表現を変えれば、わき目もふらず
無我夢中に仕事ができるかどうかにあり、
成果うんぬんの前に、与えられた仕事に
夢中になって頑張れる人は、
本当に強い子だと思います。

もう駄目だと音を
上げてしまう子がいる一方で、
涙を流して悔しがりながら、
それでも頑張れる子もいます。

99回ノックして、本当はあと一回
ノックすれば扉が開くのに、
その一歩手前で諦めてしまうのは
本当にもったいないことです。

ことに若い時分は自分の理解を
超えるような大小様々な壁が
次々と目の前に現れると思いますが、
行く手を阻む扉が開くまで
決して諦めることなくノック
し続けてほしいと思います。

そしていくつもの壁を
乗り越えた先にある「成長実感」を、
一人でも多くの方に
掴んでほしいと思います。
 
2016/02/25

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