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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.198

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ロンドン大学の教授で有名な
森嶋道夫氏の非武装中立論。
これをばっさりと一刀両断したのが、
21歳の女性の投稿記事でした。

★ 「これは素人の論文」 ★

占部 賢志(中村学園教授)

【占部】
ロンドン大学の教授で
著名な森嶋通夫氏が
『文藝春秋』誌上で持論の
非武装中立論を展開したことがあります。

国際的に知られた人物の主張でしたから、
反響も大きかったのですが、
反論として見事だったのは、
次号の投稿欄に載った21歳の
女性読者が綴った読後感でした。

このことを私が知ったのは、
評論家の福田恆存氏
が取り上げたからです。

あの福田さんが
感心したほどの一文でした。

【教師B】
森嶋氏の非武装中立論というのは、
具体的にはどんな考え方なんですか。

【占部】
当時は冷戦下でしたから、
我が国にとっていちばんの
脅威はソ連でした。

森嶋氏はそのソ連が万一にも攻めてきたら、

「秩序ある威厳に満ちた降伏」

をすべきだと述べ、

「ソ連の支配下でも、私たちさえ
 しっかりしていれば、日本に
 適合した社会主義的経済を
 建設することは可能である」

と説いたのです。

【PTA役員A】
侵略されたら降伏するのが
いちばんというわけですか。

典型的な非武装中立論ですね。

【占部】
で、このロンドン大学教授を
向こうにまわして、
彼女はこう切り返したのです。

「“私たちさえしっかりしていれば”
 という一項によって、
 これは素人の論文に終わった。

 私たちはしっかりしていない、
 もしくは私たちはいかなる時にも
 しっかりしているとは限らない……

 それが軍備ゼロで、降伏してから後、
 個々人が尊厳をもって
 生きていけるだけの社会体制を
 新たに築いていけるのか、
 私には不安だ。

 支配側の体制にいち早く順応して、
 そちらに頭角をあらわす人々は
 どんどん出るに違いない」

【教師B】
すごい洞察力ですね。
21歳とはとても思えません。

【占部】
森嶋論文の誤りを人間洞察を欠いた
「素人の論文」と一刀両断したのですよ。

【教師A】
どうしたら、これほどの
眼力を持てるのでしょうか。

【占部】この女性には、
自分というものが見えているのです。
 
2016/04/29

★ 孔子が求めた徳治政治 ★

安岡定子(こども論語塾講師)

孔子は言います。

「若者たちよ。
 家庭にあっては親に孝行し、
 外では目上の人や年上の人に対して
 素直に従い、
 行動は慎重にして、
 言葉に責任を持ちなさい。

 人を慈しみ、
 学徳ともに立派な仁者に親しみ、
 それらを行った上で余裕があれば、
 書物による学問に
 向かうのがよいだろう」

と。

何をなすにしても、
まずは一人の人間として
家庭内の人間関係、
身近な人たちとの関わりを
大事にしなくてはいけない
ことが分かります。

また別の章句では、
ある人から

「先生はなぜ直接政治に
 携わろうとしないのですか」

と質問された孔子が、

「『書経』という書物に、
 『親には孝行を尽くし、
 兄弟仲良くすれば、
 それが自ずから政治をなすことである』
 と書かれている。
 家庭生活をよくするのもまた政治である。
 どうしてあえて政治に携わる必要が
 あるだろうか」

と答えている場面があります。
 
家庭がすべての人間関係の
基本ということです。

そこに力を尽くすということは、
実は政治に参加していることに
なるのです。

徳のある人たちが集まっていれば
自ずといい国になる、
ということなのでしょう。
 
2016/04/27
古き良き日本の心を、独特な感性と
偏見のない公平な眼差しで、
克明に書き記した小泉八雲
(ラフカディオ・ハーン)。

明治以降、失われゆく日本の心を
八雲はどのように見ていたのでしょうか。

★ 小泉八雲が目指したもの ★

池田雅之(早稲田大学教授)

八雲がバンクーバーを出航して
横浜港に到着したのは、1890年の4月4日。

桜がほころび始めた春、
空は晴れ上がり、無数のカモメが
船の周りを飛び交い、遠くには美しい
富士山が見えたと言われていますが、
八雲は初めて見た日本の印象を
「日本への冬の旅」の中で
次のように記しています。

……改めて港の光景を眺めると、
その美しさは想像を絶するものがある。

光の柔らかさといい、
遠方まで澄み切った感じといい、
すべてを侵している青味がかかった
色調のこまやかさといい

すべてが澄明だが、
強烈なものは何もない──  
すべてが心地よく
見慣れぬものではあるが、
強引なものは何もない。

これは夢の持つ鮮やかさ、
柔らかさというものだ!

この文章から、八雲は横浜に
上陸してすぐ、まさに日本との
決定的な出合いを果たした
ことが伝わってきます。

また同時に、親しい友人に宛て、

「ここは、私の霊がすでに1,000年も
 いる所のような気がします」

と、後に日本が終の住処となる
八雲の運命を暗示するかのような
手紙も書き送っています。

そして、早朝の横浜港に
到着した八雲は、早速、
人力車で横浜の街を巡ります。

その印象を記録したのが、
「東洋の第一日目」という作品です。

八雲はとりわけ、車夫や
街ゆく人々の眼差しに
“驚くほどの優しさ”を感じ、
次のようにその感動を綴っています。

このような思いやりのある、
興味のまなざしや笑みを
目の当たりにすると、
初めてこの国を訪れた者は、
思わずお伽の国を彷彿と
してしまうことだろう。
 
おそらく、競争社会のイギリスや
アメリカで人生のあらゆる辛酸を
舐めた八雲にとって、人々も自然も
時間の流れも穏やかな日本は、
一つのユートピア(理想郷)
のように映ったのでしょう。
 
2016/04/26

課長の宮崎(仮名)はある日、専務に呼ばれて、

「地方営業所の立て直しをやってくれ」と指示された。

 その営業所は立て続けに五人も所長が替わっていた。
 そのうち三人は、そのまま会社を去っている。

「あの人、あそこに行くの? 左遷だね」 

 社内の誰もがそう言った。宮崎自身もそう思った。


 帰宅して妻に話した。

「どうしてあなたがあんな所へ」

 と泣き騒ぐかと思ったら、ニコニコ笑って、

「難しい営業所らしいけど、
 何とかなるわよ。行くのが楽しみ」

 と言った。

「だってあなた、いまの会社が好きなんでしょ。
 社長さんを尊敬してるんでしょ」。


 のしかかっていた暗雲がいっぺんに吹き飛んだ。

 宮崎の覚悟は決まった。

 就任三年、宮崎はメキメキ業績を伸ばし、売り上げで
 全営業所のトップとなり、所長会議で表彰された。

 これは左遷だ、と思い込んだままなら、
 こういう結果にはならなかったに違いない。

 妻のひと言を契機に、
 宮崎は視座を高めることで自暴自棄に陥らず、
 運命を好転させたのである。
 
2016/04/25

バナースペース

展示場 櫛田建設株式会社

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福島テレビハウジングプラザ内

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