過去の一語履歴を見ることが出来ます。
素読は学びの第一課程 占部 賢志(中村学園大学教授) 昔ながらの学習法「素読」。しかし、その素読が当時どのように 行われていたのかについては、ほとんど知られていないようです。 【教師A】 素読の基礎知識をお願いします。 【占部】 では素読に関しての誤解や偏見を糺しておきましょう。 まず学習形態ですが、素読と言えば、師匠の声に合わせて、 子供たちが一斉に唱和する場面を想像しがちですが、 そういう指導は実際には行われていないようです。 【教師B】 そうですか。ドラマではそんな光景を 見ることがありますが、あれは創作ですか。 【占部】 そのようですね。辻本雅史氏の労作 『「学び」の復権―模倣と習熟』によれば、 江戸時代の教育は原則的に個別指導なのです。素読も同様です。 【教師B】 具体的にはどのように指導するのですか。 【占部】 例えば、『論語』を素読するとすれば、 師匠は机を挟んで子供と向かい合い、 「字突き棒」(30センチ程度の棒)で文章を指しながら音読する。 同じように子供は後に続く。これを「付け読み」と言います。 この「付け読み」が素読における最初の課程とされていて、 これを師匠の手助けなしで読めるようになるまで繰り返す。 【教師A】 素読が出来るようになったら、 その先はどうなっていたんでしょうか。 【占部】 四書五経の素読が一通り終了したら、次のステップは、 「講読」→「会読」の順に進むことになります。 「講読」は「講釈」とも言い、 教師の指導のもとで章句の意味を理解していく学習です。 先ほどの集成館では素読科から講釈科に行くには、 年4回の試験、2年に1回の試験に合格する必要があったと言います。 「会読」は数人から10人程度のグループで テキストを前に討議を深めながら探究する形態です。 大学のゼミナールみたいなものですね。 今般の新学習指導要領の目玉「主体的、対話的で深い学び」の 具体的な学びの姿がここにあると言っていいと思います。 【教師A】 そうすると、意味も分からないのに丸暗記を 強制するなんて非教育的だと非難する向きがありますが、 素読は学びの第一課程であって 自己完結したものではないということになりますね。 【占部】 その通りです。非難はまったく当たりません。 ただし、素読を称揚するだけで、その効果を活かす 第二、第三の課程を用意しなければ元も子もないことになります。 その点は注意すべきです。 |
2019.01.17 |
〒979-0154
福島県いわき市沼部町鹿野43
Mail infous@kushida-web.com
TEL 0246-65-2311
FAX 0246-65-2313
定休日:土曜日・日曜日