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      次代に輝く住まいを創る

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〒979-0154 福島県いわき市沼部町鹿野43

一語履歴WORD vol.322

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一語履歴 vol.330
学問の目的 330a運がいい... 330b何のために 330cまず夢を
一語履歴 vol.329
素読は 329a一言一涙 329b誰にも負けない 329cお坊さんの後ろ姿
一語履歴 vol.328
棒切れ 328aお客さんに 328bもう懲りた 328c言志四録
一語履歴 vol.327
いましかない 327aおはよう 327b目の前 327c人として
一語履歴 vol.326
心の師となれ 326a大器晩成 326bへこたれるものか 326c作曲家の意図
一語履歴 vol.325
商品開発 325a共に学ぶ 325b大切な良薬 325c無常観
一語履歴 vol.324
成長できない 324aJALの奇跡 324b快GOツアー 324c叱って
一語履歴 vol.323
先人の知恵 323a人も運も 323b三鏡 323c恒久平和を 323dそばに居る
一語履歴 vol.322
自分の思い 322a喧嘩だけはするな 322b才幹に優先 322c言葉には意味
一語履歴 vol.321
韓非子 321a脳の動きが 321b読書が人を 321c先賢の箴言
喧嘩だけはするな
         福田 稠(福田病院理事長)

熊本県において、日本国内で最も多く
お産を手掛けている病院をご存じでしょうか?
年間のお産数は実に3,800名。妊産婦からも
絶大な信頼を受けているのが、福田病院です。

私は昭和48年に産科医になり、
最初は国立熊本病院に勤務していました。
その頃は、戦後にたくさんできた産婦人科の開業医が、
設備の老朽化などで医療の進歩についていけず、
だんだん立ち行かなくなっていました。

当院も老朽化が進んでおり、
自分が後を継いでから先のことがとても不安でした。

しかし、大病院を見ると、健康な妊婦さんたちも
大部屋に押し込まれて、病人と同じものを食べさせられている。

「患者はどうせたくさん食べないから二食でいい」
というところまであり、これでは妊婦さんは大変です。
がんのような難しい病気では大きな病院が安心ですが、
お産なら開業医も選ばれるチャンスは十分にあると思い、
私は病院の環境を徹底的によくしていくことにしたのです。

『聖書』に出てくる羊飼いが、
100匹の羊の群れから迷い出た一匹を救いに行ったように、
大病院の産科医療というのは、
重篤な患者の対応が中心になっています。

ですから当院では、残りの99匹を大事にするような
環境づくりに力を注いでいったのです。

もちろん1匹を救うことも重要です。
NICUの導入なども早くから手掛け、
医師や助産婦が難しい症例も含めて診療に専念する一方、
コックさんや旅客機のキャビンアテンダントのような
働きができる人材も集めて、普通の妊婦さんたちに快適に
過ごしていただくことにも力を注いでいきました。

最初に手掛けたのが病室の個室化で、
当時はお産後のシャワーなどもっての他と言われる中で、
バス、トイレも完備しました。病院内にレストランを
設けておいしい料理を提供したり、
美容室やエステなどの施設も導入しました。

そのような取り組みを評価していただき、
福田病院で出産したいと、よその地域からも
妊婦さんが来院してくださるようになってきましたが、
辛いこともありました。それは少子化で限られた
シェアの中から患者さんを奪ってしまい、
同業の先生方の経営を圧迫してしまったことです。

また、先にも述べましたが、立ち会い出産を
始めた時には、随分批判を受けました。
例えば、ご主人に臍の緒を切ってもらうのは
医師法違反だと言うのです。自分の子供の臍の緒は
業として切るわけではなく、医師法違反ではないのですが、
なかなか理解を得られませんでした。

その時にも別の先生から、
新しいことを始めれば衝突も起こる。
けれども喧嘩だけはするなと諫められました。
それはキリスト教的に言えば、赦すということでしょう。
そのような温かい励ましをいただきながら、
今日までやってきました。

もちろん辛いこともありますが、出産の喜びというのは
我われが側で見ていて嫉妬するほど大きなものです。
そのような場を提供できる幸せというのは、
何ものにも替えがたいものがあります。
やはり妊婦さんたちの笑顔、それから職員の笑顔、
これがこの仕事を続けていく大きな原動力です。
 
2018.12.06
自分の思いで現実は変わる
             柳家 花緑(落語家)
             村上 和雄(筑波大学名誉教授)

【花緑】
真打になるとお客さんの期待も当然高まります。
ところが噺を終えると、お客さんが落胆しているのが
伝わってくることが分かるので、
自分の不甲斐なさに落ち込みました。

だんだん精神的にも不安定になって、
落語家として人前に出る時にはカラ元気みたいに
陽気でやっているけど、家に帰るとすぐ陰気になる。
躁鬱病みたいにとにかくバランスが悪い。

そうなると、もう死にたいという願望が先に立つわけですよ。
25、6歳の頃は常にそういう精神状態でした。

【村上】
その状況をどうやって乗り越えられたのですか。

【花緑】
吹っ切れたのは30歳くらいになってからですね。
それまで僕は師匠から教わった
落語を一所懸命に演じていました。

ところが師匠がやるとお客さんにウケても、
僕がやっても全然ウケないわけです。
師匠と同じ噺をやっていても、やっぱり間であったり、
ものの言い方、いかに空気を読むかなど、
使う言葉は同じでも芸というのは
言葉だけじゃないことを身に沁みて感じました。

転機になったのは、同世代の先輩たちの高座を
見に行った時でした。僕が驚いたのは、
その先輩方が自分の言葉で自分らしい落語を演じていたんです。

その姿を見て、「あぁ、これでいいんだ」と気づきました。
それからですね、自分を変えていくことができたのは。
そうすることで新たに離れていくお客さんもいましたけど、
誰に何と言われようと、自分がやりたい高座を
やり続けることで手応えを掴めるようになりました。

それから当時はスピリチュアルなものも含めて
とにかくいろんな本を読みました。
好奇心の赴くままに禅に関する本も読みましたし、
村上先生の本のことは小林正観さんから聞きました。

【村上】
もう亡くなられましたね。

【花緑 )
僕は正観さんの本も随分読ませていただいて、
講演会も何度かご一緒しました。

そんなご縁もあって、僕は正観さんの生き方とか
物の見方にものすごく興味を持ちました。
「自分の思いで現実は変わる」のであって、
現実はあくまで中立であるということを、
シンプルな言葉で教えていただいたんです。

だからこそ、僕は自分の思いを
軽んじないようにしようと思いました。
思いが現実化するのであれば、
いまこの瞬間をどういう思いを持って
生きているかがすべてですから。
 
2018.12.04

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