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お客さんに喜んでもらうために 農口 尚彦(農口尚彦研究所杜氏) 最高の味を求めて、86歳のいまも酒造りに余念のない農口尚彦さん。 その腕前から「酒造りの神様」と称されるほどですが、造り手の原点は、 20代の頃に出逢った恩師の存在がありました。 私の人生で最も大きな出逢いと言えば、 私を杜氏として迎え入れてくださった 菊姫合資会社(石川県)の柳辰雄社長との出逢いです。 私は山中正吉商店で4年間働いた後、 三重県と静岡県の酒屋でそれぞれ4年間修業を積み、 28歳で菊姫の杜氏になりました。 柳社長は明治の生まれで、当時50歳前後でした。 小さい頃から体が弱く、家業を継ぐとは思っていなかったそうですが、 先代が倒れたのを機に、勤めていた銀行を辞めて戻ってきたんです。 苦労人であり、実に素晴らしい人間性の持ち主でした。 あの方の下なら、もう120%完全燃焼したいなぁ という気持ちになれるんです。 ──徳望の篤い経営者だったのですね。 もうね、謙虚で我欲が全然ない。 柳社長はしょっちゅうこう言われていました。 「俺は酒も飲めんし、酒造りも分からん。 とにかくお客さんに喜んでもらうために、 いい原料を買ってやるから、お客さんがこれはうまいって 買いに来てくれる酒を造ってほしい」 と。類は友を呼ぶと言いますけど、そういう社長ですから、 社員も取引先も同じように我欲のない人ばかり集まってくる。 「商売は儲けてなんぼや」って感じの人は一人もいない。 そうやって高い原料を使って、手間隙をかけて、 いい酒を造り続けた結果、ある時から東京の市場で 菊姫に高値がつくようになり、どんどん売れて 利益が出るようになったんです。 私はそれを見ていて、「なるほど、 商売というのはこういうものなのか」と感じました。 金儲けを前提にして商売するところへは、 全然お金が流れていかない。けれども、お客さんを大事にして、 喜んでもらおうと考えて商売していると、 たとえ一時的には採算の合わないものを造っていても、 最後は必ず人もお金も押しかけてくる。 ──まさに商売繁盛の極意と言えますね。 はい。私自身もうまい酒を造って、 一人でも多くのお客さんに喜んでもらいたいっていう ことしか頭にないんですよ。 だから、いまでもファンの方に囲まれて、 仕事をさせてもらっているんだと思います。 そういう意味で、柳社長は私の人生の基礎を 築いてくださった恩師に他なりません。 |
2019.01.11 |
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