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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.324c

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一語履歴 vol.329
素読は 329a一言一涙 329b誰にも負けない 329cお坊さんの後ろ姿
一語履歴 vol.328
棒切れ 328aお客さんに 328bもう懲りた 328c言志四録
一語履歴 vol.327
いましかない 327aおはよう 327b目の前 327c人として
一語履歴 vol.326
心の師となれ 326a大器晩成 326bへこたれるものか 326c作曲家の意図
一語履歴 vol.325
商品開発 325a共に学ぶ 325b大切な良薬 325c無常観
一語履歴 vol.324
成長できない 324aJALの奇跡 324b快GOツアー 324c叱って
一語履歴 vol.323
先人の知恵 323a人も運も 323b三鏡 323c恒久平和を 323dそばに居る
一語履歴 vol.322
自分の思い 322a喧嘩だけはするな 322b才幹に優先 322c言葉には意味
一語履歴 vol.321
韓非子 321a脳の動きが 321b読書が人を 321c先賢の箴言
叱って人や組織を育てる
             加護野忠男

松下電器産業(現・パナソニック)を一代で世界的企業に育て上げた松下幸之助。
その偉業を成し遂げた一つの要因に、
松下幸之助が叱って人を育てる「叱り上手」だったことが挙げられます。

〈加護野〉
日本を代表する名経営者といえば、
松下電器産業(現・パナソニック)創業者の松下幸之助の名前を思い浮かべる方が多いでしょう。
しかし、幸之助さん自身は決して技術の天才であったというわけでもなく、
技術面ではごく一般的な才能の持ち主であり、特別優れた閃きに恵まれていたわけではありませんでした。そういう面で松下電器は、井深大や本田宗一郎といった
技術的な天才が創業したソニーやホンダなどとは違ったタイプの会社だったと言えます。

その一見平凡な経営者が、ソニーやホンダを上回る巨大企業をつくり上げることができたのは、
自分自身を含めた多くの人々を仕事を通じて育てていったからにほかなりません。
実際、幸之助さんは他のどの経営者より「人を育てる」ということを真面目に考えた人でした。
零細企業から出発した幸之助さんは、優秀な人材を採用することができず、
普通の人を採用して育てる以外なかったのです。

松下流の人材育成の方法は、
ナショナルショップ店などの後継者を教育する「松下幸之助商学院」という学校に行くとよく分かります。
この学校の教育方針の一つが「凡事徹底」です。
これは整理・整頓・清潔・清掃・躾の「5S」に始まり、
道を歩く時はポケットに手を入れない、靴を脱いだら真っ直ぐ揃えるといった、
日頃の身の回りのことをきちんと行う習慣を身につけさせることで、人を育てていくという考え方です。
また、この習慣づけは、経営を成り立たせる上で何よりも大切な
精神、正直さ、真面目さ、愚直さといった精神を涵養することにも繋がってきます。

京セラの第二代社長を務めた伊藤謙介さんも平凡なことを徹底させることの大切さを説いています。
伊藤さんは工場に行くとまずトイレのスリッパを見るといいます。
スリッパが綺麗に並んでいるなら問題ないが、乱れ始めたら何か問題がある。
スリッパを揃えることもできない、心の余裕がない状態では、
もっと大事なことができていない可能性があると言うのです。

そして、もう一つの教育方針が「覿面(てきめん)注意」です。
これは凡事ができていない人に、すぐその場で厳しく注意をする、叱る。

実際、幸之助さんはかなり厳しく人を叱っていました。
松下電器に入社し、その後三洋電機の設立に参画して同社の副社長まで務めた後藤清一氏は、
幸之助さんに叱られた時の体験を『叱り叱られの記』で次のように記しています。

「すぐ来いッ。晩の10時ごろ。親類の人となにやら話をしておられたが
、私の姿を見るなり、人前もかまわず、こてんぱんに怒鳴られる。
見かねて親類の人もとめに入るが、それでやめるお人ではない。
部屋の真ん中でストーブが赤々と燃えている。
火カキ棒で、そのストーブをバンバン叩きながら、説教される。
ガンガン叩くので、その火カキ棒がひん曲がる。
フト、それに気づいた大将は、ぬっとつき出す。
〝これを真っすぐにしてから帰れッ〟あたるべからずの勢い。
ついに私は貧血を起こして倒れてしまった」

すさまじい叱り方ですが、
幸之助さんは特に優秀な人には大きなことではなく小さなことで叱ったといいます。
幸之助さん自身、「小事にとらわれて大事を忘れてはならないが、
小さな失敗は厳しく叱り大きな失敗に対してはむしろこれを発展の糧として研究していくということも、
一面では必要ではないかと思う」という言葉を残しておられますが
、これは「小事は大事」という考えに基づいています。
幸之助さんが小さなことを叱った理由は二つあると思います。

一つは合理的な判断への戒めです。
よい大学を出た頭のよい人というのは合理的に物事を考えがちですが、
得てして本筋だけ外さなければよいと、小さなことを無視してしまいがちです。
幸之助さんは、小事が積もり積もることによって組織は弱体化していくことに気づいておられたのでしょう。

第二には、小さなことを軽視するような状態は、おそらく組織が緩んでいることの示す
一種のアーリーウォーニング(早期警戒)ではないか、ということです
。初めから大きな不正をするような人はあまりいません。
小さな不正から始まって、次第にそれがエスカレートして大きくなっていくのが現実の姿です。

また、面前で叱ることには、叱られた人以外の社員にも、「それは悪いことなのだ」と、
その職場の価値観を知らせるといったコミュニケーション効果もあります。
ただ、厳しく叱るだけでは相手の意欲を挫いてしまう危険性があります。
その点も幸之助さんは心得ていました。
幸之助さんは電話魔だったといわれていますが、
叱った後には必ず本人に、「元気にしとるか」「機嫌よう、働いているか」と電話を掛けた。
ここに幸之助さんが叱って人を育てる、〝叱り上手〟といわれる所以があります。

ここまで述べたように、「凡事徹底」と対をなす「覿面注意」の二つの方法の徹底こそ、
松下流の人材育成の極意であり、高品質の製品を生み出し続けてきた
日本のものづくりの土台にほかなりません。
 
2018.12.14

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