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共に学ぶ一介の学徒 童門 冬二(作家) 幕末維新の教育者として、いまもその雄姿が 語り継がれている吉田松陰。 松陰のもとで志を育んだ志士たちは、 のちに維新の回天の一端を担っていきました。 吉田松陰が直接松下村塾で門下生を指導したのは、 正確には安政4年の3月から安政5年の12月までだ。 わずか1年9か月にすぎない。 こんな短い期間に、かれはおびただしい人材を育て上げたのだ。 一体、どこにそんな力があったのだろうか。 松陰はこういう。 「一誠は兆人を感ぜしめる」 すなわち、 「人間が誠を尽くせば、 一兆の人間をも感動させることができるのだ」 松陰自身は決してそんなうぬぼれを 持っていたわけではない。また、 「自分の力によって、一億の人が感動している」 などという思い上がりの気持ちを持ったことは一度もない。 かれは常に、 「わたくしは師ではない。 君たちと共に学ぶ一介の学徒だ」 といい続けていた。かれの教育方法は、 ・現代とは何か。 ・現代で一番問題なのは何か。 ・それを解決するために、自分の全存在は どういう役に立つか。そういう探究である。 従って、かれは常に自分が完全だとは思わなかった。 最後まで修行者であり、常に欠点を抱えた 存在であると認識していた。だからこそ、弟子に向かっても、 「君たちの長所で、ぼくの短所を埋めてくれたまえ」 と語り続けた。有名な話だが、かれは「飛耳長目」という メモ帳を持っていた。調査魔であり、情報魔であったかれは 常に自分が見聞したことや他人から見聞したことを、 全部メモ帳に書き綴った。それもいまでいえば社会問題が多い。 そしてここに書き記したメモをテキストにしながら、 「昨日、あそこでこういう事件が起こった。 政治との関わりで考えてみよう。なぜこういう事件が 起こったのか、未然に防ぐことはできなかったのか、 防ぐとすればどういう手段が考えられたか、 しかし一旦起こってしまったことはしかたがない。 これを解決するためには、どうすればいいか、 われわれとして何ができるか、それをお互いに議論してみよう」 という講義を行った。いってみれば、日常起こっている 社会問題をテキストにしながら、それを政治との 関わりにおいて討論するというのが松陰の教育方法だった。 従って、絵空事は一切語らない。 だからといって、かれは詩や文章も重んじた。 「政治問題を考える上でも、詩を作り文章を綴りたまえ。 そうすれば、解決策にゆとりが出る。人間らしくなる」 かれは常にそう語った。また、 「自分の眼で見、耳できかないことは、 決して自分の意見として提出してはいけない」 というリアリズムを重んじた。かれ自身、 日本国内に起こった諸問題に立ち向かう時に、 「自分の眼で見、きいてこよう。きいてからでなければ、 自分の意見を固めることはできない」 といって、日本国中旅をした。その地域は、 実に青森県から九州諸地方にまで亘っている。 |
2018.12.20 |
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