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私を支え導いてくれた 呻吟語 祐木亜子(祐木亜子事務所代表) 一冊の本との出会いが人生を大きく左右することがあります。 まるで導かれるようにして一冊の本と出会い、 それが人生をひらく大きな道標となる――。 私を中国古典の世界へ誘ってくれたのは、 大学時代の恩師でした。 双子の妹とともに同じ大学の 同じ学部に進学した私は、 自分とは何者だろう、 というアイデンティティーの 問題を人一倍意識していました。 加えてその頃の私は、 意見の異なる相手と心を通わせる 術に長けていなかったため、 しばしば人と衝突しては、 自己嫌悪や人間不信に陥ることを 繰り返していました。 大学で中国語を教わっていた 恩師の研究室を訪れた時、 そういう自分の悩みを打ち明けたところ、 「君は、自分がどう生きたらいいのか 分からないのだろう」 と言われ、一冊の古典を手渡されました。 『菜根譚』でした。 直情型で激しやすく、 人とぶつかってばかりいた当時の私の姿が、 恩師にはご自分の若い頃と重なって見えたようで、 古典の教えに救われた ご自身の体験を語ってくださいました。 最初は、生身の人間とぶつかり、 葛藤している自分の思いに、 こんな古くさい書物が応えてくれるとは思えず、 しばらく本棚の中で眠ったままになっていました。 ところが、何かのきっかけで ページをめくったところ、 そこに書かれている言葉に グイグイ引き込まれていったのです。 私は、自分の考えを相手に 聞いてもらうことにばかり執着して、 相手を受け入れること、受け入れられる 自分を養うことをしていなかった。 自分はまさに、ここに書かれている小人ではないか…… 一読して思わずため息が出ました。 興味を持った私は先生の研究室に通い詰め、 『呻吟語』や、『論語』をはじめとする 四書五経へと読み進んでいきました。 意味の分からない箇所を尋ねると、 「もっとじっくり読んでみなさい」と言われ、 声に出して繰り返し読んでいるうちに、 腑に落ちてくるから不思議でした。 そこまでのめり込んだのは、 いま思えば教員をしていた祖母と 父の影響も大きかったと思います。 子供の頃、自宅の書棚に並んでいた 古典や吉田松陰先生などの本を、 興味半分に拾い読みして心の底に播かれていた種が、 恩師にきっかけを与えていただいて 芽を出したのかもしれません。 「忍激(にんげき)の二字は、これ禍福の関なり」 (じっとこらえて辛抱するか、 一時の激情に駆られて爆発するか。 どちらをとるかが幸福と不幸の分かれ道になる) 「人を責むるなきは、自ら修むるの第一の要道なり」 (人を責めない、これが自らを 修める上で最も大切なことである) 「世に処するには、ただ一の恕の字」 (この世の中を生きてゆくのに必要なのは、 恕の一字、思いやりの気持ちに尽きる) 例えばこうした『呻吟語』の言葉に繰り返し触れるうちに、 友人たちから「丸くなったね」と言われるようになりました。 先達の叡智が私の中に浸透し、 少しずつ表に現れるようになったのかもしれません。 |
2015.10.29 |
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