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「いま求められるリーダーの資質」 堺屋太一(作家、経済評論家) & 渡部昇一(上智大学名誉教授) 【渡部】 戦後の教育で重んじられたのは、 頭のよさ、知ですよ。 それから優しい心、ハートね。 本当にこの頃の子供は優しくなりました。 ところが大事なものが抜けていたと思うんです。 それはガッツなんですよ。 私はね、リーダーというのはガッツだと思うんです。 頭がそれほどよくなくても、 それを補ってくれる頭のいい参謀なんかいっぱいいますよ。 それから少々強引なことをしても、 周りをフォローしてくれる補佐役もいっぱいいます。 ただ、ガッツだけは代わりがない。 ガッツだけはどんな優秀な補佐役も、参謀も補えません。 ですから、教育も子供たちのガッツを 養うことを考えるべきだと私は思うんです。 明治維新で活躍した人は皆、 江戸時代に育っていますから、ガッツがある。 いつでも腹を切る覚悟ができていますからね。 そのガッツが知恵になっているんですな、結局は。 残念ながら、いまの日本のリーダーはガッツがないですね。 例えば福島の原発事故の時の 東京電力の社長は何ですか、あれは。 ガッツがないから表に出てこられなくて、 入院したかなんだかで辞めちゃったでしょう。 きっと頭はいいんでしょう。 ハートもいいに決まっています。 みんなに好かれて出世したんだから。 だけどガッツがないから、 いざ事が起こるとすぐへたってしまう。 【堺屋】 私はセビリア万国博覧会の時に、 安土城の天守閣を再現しました。 その真ん中に座って、 織田信長がどんな心境で政治をやっていたか、 考えてみたんです。 周りは全部金箔で、 八角形の壁に描かれた釈迦十大弟子が自分を見ている。 普通は仏さんに対して人間が祈るんですが、 信長は仏さんに自分を祈らせた。 信長がいかなる自信を持って政治をやっていたか。 全責任は俺にあるという覚悟が、 ひしひしと伝わってきましたね。 日本の先人の中でも信長の リーダーシップが際立っていたのは、 まさに栄えるも滅ぶも全責任は 俺にあるという覚悟を持って行動していたからです。 そして最後に本能寺で明智光秀に襲撃された時には 「是非もなし」と潔く覚悟を決めた。 |
2015/09/17 |
2500年にわたって脈々と人類に 受け継がれてきた稀代の書『論語』。 その傍らで、孔子の子孫また 孔子の意思を受け継がんと 親から子、子から孫へと受け継がれてきました。 「人類存続のカギは『論語』にあり」 伊與田覺(論語普及協会学監) & 孔垂長(孔子第79代嫡孫) 【伊與田】 私にとって孔子や『論語』は食べ物と同じでね、 批判の頭を持たないんです。 我われは毎日ご飯を食べますが、 日によって味も違う。 美味しいと思う日もあれば、 まずいと思う日もある。 けれども、それによって食を 廃するということはありません。 孔子や『論語』もそれと同じで、 役に立つとか立たないとか、 そういう批判的な目をもって 見るということだけではなくて、 食と同じように、自分の命を支え、 心を養ってくれるものと考えて毎日向き合っています。 【孔】 「学びは水に逆らい舟行くが如し」。 進める努力をしなければ 後退してしまうことを戒めた諺があります。 私の特に心に留めている言葉です。 【伊與田】 あぁ、いい言葉ですね。 【孔】 水に逆らって舟を進めるわけですから、 絶えず前へ進む努力をしなければすぐに下がってしまいます。 だからこそ伊與田先生も、 百歳のいまも学び続けておられるのだと拝察いたします。 孔子の思想は長い歴史を経ているものの、 衰えたり陳腐になることなく、 一層新しさを増しており、古今を貫き通しています。 一人の哲学者が2500年余り前に説いた思想が、 今日に至っても小さくは個人の修養、 大きくは国家の統治にまで示唆を与え、 広く受け入れられているのは誠に希有なことです。 1988年にパリで開催されたノーベル賞受賞者国際大会では、 「人類が存続し続けていくには、 必ず孔子の知恵を汲み取っていかねばならない」 |
2015/09/17 |
いまや二人に一人が生涯で がんになると言われている日本。 術や放射線治療、抗がん剤治療など、 治療法は様々ですが、いま食事療法に 新たな光明が見え始めています。 「驚異の実績を持つ済陽式食事療法」 済陽高穂(西台クリニック院長) 【村上】 実際、食事療法でどれくらい 症状がよくなるのでしょうか。 【済陽】 一番分かりやすいものとして、 末期がんや晩期がんと呼ばれる、 もう手術や放射線治療ができないような状態の患者さんに、 食事療法でどれくらいの効果が 出ているのかを示すデータがあります。 これまで外来などを含めて症状の重い患者さんは 1,000名近くいらしているのですが、 平均5年にわたる観察を続けて取れた データは412名分のものになります。 【村上】 データを取れなかった方というのは? 【済陽】 食事療法を指導しても、私の言うことを 全然守ろうとしなかった方たちがほとんどですね。 食事療法にはいくつかルールがあるのですが、 例えば、野菜をたくさん摂ってくださいと言っても 「そんなのがんの治療と何の関係があるんだ」とか、 お酒はやめるように言うと「酒は体にいいんだよ」とか(笑)。 こういう方はクリニックに戻ってこられないので、 フォローのしようがないんです。 一方で、412名の中には胃がんや大腸がんと症例は様々ですが、 そのうち食事療法によってがん細胞が完全に消えるか、 もしくはかなり症状が改善される方が252名いて、 これが全体の60・2パーセントにあたります。 【村上】 末期の患者さんのみが対象で その数字というのは、素晴らしいですね。 【済陽】 ありがとうございます。 残念ながら亡くなられた方も412名のうち 3割ほどおられるのですが、 その理由は大きく分けると3つあるんですよ。 一つは既に治療段階で抗がん剤が使われすぎていて、 食事療法をいくら頑張っても骨髄機能が回復せず 、リンパ球が増えないケースですね。 こうなると免疫力が低下したままなので回復はとても難しい。 それから食事療法を続けている途中で もう治ったと患者さんが勝手に判断して、 肉食や飲酒を始めてしまうというのもあります。 【村上】 もうちょっと我慢すればよかったわけだ。 【済陽】 そうなんですよ。最後の一つは大腸がんなどが ひどくなって腸閉塞を起こしてしまうケース。 これも栄養素が腸から吸収されなくなるので 食事療法が効きません。 ですからこうやって細かく原因を見ていくと、 亡くなった患者さんの中には、 もう少し早くこちらに来られれば 助けられたかもしれない方が半分以上はいた ということになると思うんですね。 済陽式食事療法というのは、 体が本来持ち合わせている免疫力や代謝機能を取り戻し、 さらにそれを高めることで がんの治療効果を上げようとするものです。 ですからがん治療にはもちろんのこと、 がんを含めた病気を未然に防ぐ上でも 有効なのではないかと私は考えているんですよ。 |
2015/09/15 |
神奈川県鎌倉市にキャンパスのある 学校法人 鎌倉女子大学。 実はこの大学が建てられたのは、 昭和18年、つまり終戦の2年前でした。 なぜそのような時期にあるにもかかわらず、 学校建設を建てようと志し、 それを貫徹することができたのか――。 「鎌倉女子大学創設者の挑戦」 松本紀子(鎌倉女子大学学園主) 主人の父・松本生太(せいた)はというと、 もともとは弁護士だったのですが、 これからは母親になっていく女性たちの教育が一番大事だと、 学校新設の申請を当時の文部省に提出するんです。 ところがその時期というのが昭和18年なんですよ。 ――終戦の2年前ですか。 普通だったら躊躇(ちゅうちょ)すると思うのですが、 思い立ったらもう止まらないんですね。 役所の方もびっくりされて、 周囲も反対だったようです。 でもここが生太のすごいところで、 横浜市内にいまの学園の母体となる 京浜女子家政理学専門学校をつくってしまったんですよ。 ――戦火に怯むことなく、 思いを遂げられたのはすごいですね。 やると決めたことをやりとおす精神力もさることながら、 一本筋が通っていて、生太は当時からこう言っていました。 「一年を思う者は花を植える、 十年を思う者は木を植える、 百年を思う者は人を育てる」と。 ところがせっかく建てた校舎も、 終戦の年の空襲ですっかり焼失してしまっているのですが、 少しもめげないんですよ。 一刻も早く教育を続けられる 場所をと探し回って見つけたのが、 鎌倉市内の岩瀬という土地でした。 そこには海軍の燃料廠があって、 粗末ながらもバラックが残っていたので、 ここならすぐに学校を再開できると生太も思ったのでしょう。 軍需省や文部省に毎日のように通って 入居の許可を取りつけたのが昭和21年1月16日のことで、 私立学校では一番早く授業再開したのです。 |
2015/09/14 |
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