過去の一語履歴を見ることが出来ます。
鎌倉女子大学創設者の挑戦 松本紀子(鎌倉女子大学学園主) 神奈川県鎌倉市にキャンパスのある 学校法人 鎌倉女子大学。 実はこの大学が建てられたのは、昭和18年、つまり終戦の2年前でした。 主人の父・松本生太(せいた)はというと、 もともとは弁護士だったのですが、 これからは母親になっていく女性たちの教育が一番大事だと、 学校新設の申請を当時の文部省に提出するんです。 ところがその時期というのが昭和18年なんですよ。 ――終戦の2年前ですか。 普通だったら躊躇(ちゅうちょ)すると思うのですが、 思い立ったらもう止まらないんですね。 役所の方もびっくりされて、 周囲も反対だったようです。 でもここが生太のすごいところで、 横浜市内にいまの学園の母体となる 京浜女子家政理学専門学校をつくってしまったんですよ。 ――戦火に怯むことなく、 思いを遂げられたのはすごいですね。 やると決めたことをやりとおす精神力もさることながら、 一本筋が通っていて、生太は当時からこう言っていました。 「一年を思う者は花を植える、 十年を思う者は木を植える、 百年を思う者は人を育てる」と。 ところがせっかく建てた校舎も、 終戦の年の空襲ですっかり焼失してしまっているのですが、 少しもめげないんですよ。 一刻も早く教育を続けられる 場所をと探し回って見つけたのが、 鎌倉市内の岩瀬という土地でした。 そこには海軍の燃料廠があって、 粗末ながらもバラックが残っていたので、 ここならすぐに学校を再開できると生太も思ったのでしょう。 軍需省や文部省に毎日のように通って 入居の許可を取りつけたのが昭和21年1月16日のことで、 私立学校では一番早く授業再開したのです。 |
2015.09.14 |
〒979-0154
福島県いわき市沼部町鹿野43
Mail infous@kushida-web.com
TEL 0246-65-2311
FAX 0246-65-2313
定休日:土曜日・日曜日