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目から鱗の日本史講座 占部賢志(中村大学教授) 教師として実践的な歴史教育に取り組んでこられた 中村学園教授の占部賢志先生。 例えば聖徳太子が隋の皇帝に送った国書について 皆さんご存じの方も多いかと思いますが、 世界史の枠組みから見ると、 これまで見えてこなかったことが見えてくるといいます。 【占部】 古代史なら推古朝は必須でしょう。 一例を挙げれば、聖徳太子の外交です。 小野妹子(いもこ)を通じて隋の皇帝に渡した国書は、 対等外交を要求したものです。 言い換えれば、隋による支配秩序からの 「独立宣言」だったのです。 この七世紀初頭の世界史の実情は、 西ヨーロッパはゲルマン人の移動後で、 フランク王国が成立して発展しはじめる頃です。 東欧は東ローマ帝国が存在していましたが、 中東のササン朝ペルシアとのあいだに無益な戦争を続け、 両国とも衰退していたのです。 そんなわけで、当時は隋だけが図抜けた超大国でした。 その隋は周辺諸国を対等には扱わなかった。 もう一つは図を見て下さい。 このは隋が周辺の民族を どう見ていたかを図示したものです。 (図…東夷、北狄、南蛮、西戎) 【教師C】 東夷(とうい)というのは日本のことですね。 【占部】 そうです。注目していただきたいのは、 周辺民族を表す用語の二つ目の漢字です。 例えば、北方の人々を中国は 「北狄(ほくてき)」と呼んでいますが、 「狄」はケモノ偏でしょう。 同じ人間とは見なかったのです。 ほかも同じような意味です。 ここまで他民族を侮蔑(ぶべつ)したのが中国でした。 異を唱える国はどこもなかった。 ところが、そんな非情な世界にただ一人、 対等外交を突きつける人物が現れた。 それが我が国の聖徳太子です。 【教師A】 なるほど。そういうふうに見ると、 あの国書がいかにすごいものだったかが分かりますね。 【占部】 それが世界史の枠組みから日本史を見るポイントです。 この視点が今までの日本史教育には欠けていたのです。 |
2015.10.10 |
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