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おせっかい に生きる 高橋恵(サニーサイドアップ創業者) 企業の商品の広報や、元サッカー日本代表の中田英寿選手、 陸上の為末大選手などのスポーツマネジメントを手掛ける PR会社の「サニーサイドアップ」。 2012年には電通PRを抜き、 業界売り上げ1位にまで急成長しました。 いまから29年前、東京・中野の ワンルームマンションの一室で会社を起こし、 今日へと発展させてきたのが創業社長の高橋恵さんです。 事業発展の要因には、 ある秘訣がありました。 それは高橋さんがお母様の姿から学んだ 「おせっかいに生きる」という信条だったといいます──。 私のおせっかいの原点には、 子供時代の辛い経験がありました。 「何で戦死してしまったの。 手がなくても足がなくても、 生きて帰ってきてほしかった!」 そう泣き叫ぶ母のそばで、 10歳の私は、姉と妹とともに、 一緒に泣いていました。 良家に生まれた母でしたが、 幼くして両親を、大東亜戦争で夫を亡くしました。 戦後始めた事業もほどなく倒産。 手のひらを返したような世間の冷たさに晒され、 押しかける債権者に家財道具一切を持ち去られました。 母の指から父の形見の真珠の指輪を 強引にもぎ取る姿がいまも目に焼き付いています。 母はこの時、一家心中の瀬戸際にまで 追い込まれていたのでしょう。 しかし、それを子供心に感じた時、 ガタッという物音が玄関から聞こえたかと思うと、 ガラス戸に一枚の紙切れが挟まっていました。 そこにはこう書かれていたのです。 「あなたには3つの太陽(子供)があるじゃありませんか。 今は雲の中に隠れていても、必ず光り輝く時がくるでしょう。 それまでどうかくじけないでがんばって生きて下さい」 その手紙を読み聞かせながら、 母はハッと気がついて、 ごめんね、ごめんねと謝って抱きしめてくれたのです。 おそらく私たちの窮状を見かねた 近所の方だったのでしょう。 人間のちょっとした優しさに、 人の命を救うほどの力がある──。 この時の強烈な印象、 そして一家を養うために身を粉にして働く母の姿が、 私のおせっかいの原点となったのです。 しかし、苦しい生活は終わることなく、 このままでは学校に通わせることもできないと、 母は私を知人の家に預けることを決断。 そして送り出された私を待ち受けていたのが 壮絶な“いじめ”でした。 空腹を我慢し、冬は霜焼けで10本の指がただれていても雑巾がけ。 手をついて謝っても、これでもかと足で頭を踏みつけられる……。 あまりの仕打ちにトイレで泣き明かすこともしばしばでした。 その小窓から見えた空と、その中を自由に飛び交う鳥たちの姿、 そして母に会いたいという哀しい思いは、 いまでも忘れることができません。 「自由に大空を飛ぶ鳥のように世の中を自由に、 自らの力で生きていこう。 そして、人間として、わけ隔てない生き方をしよう」 と14歳の時に誓ったのでした。 いま思い返すと、その後社会に出てからの私は、 子供時代の辛い体験と、母や見知らぬ人から受けた温かい愛情に 突き動かされるように幸せを追い求め、 無我夢中でおせっかいをばら撒いてきたような気がします。 「天知る、地知る、我知る。 どんなに貧しくなろうとも、 心まで貧しくなってはいけません」 「あなたには、あなたのいっぱい、 いいところがあるじゃない」 苦しい生活の中で母が繰り返し唱えていた言葉です。 母はそのとおり、本当に思いやりに溢れた人でした。 無縁社会という言葉も聞かれますが、 どんなに忙しくとも、人を想う心さえあれば、 たった一言の言葉、たった一枚の紙切れでも、 人を救うことができるのです。 |
2015.09.20 |
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