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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.161b

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一語履歴 vol.170
お天道様が 170a一つ上の仕事 170b考えの出し方 170c人生はあなたに
一語履歴 vol.169
最高の結果 169a悲しみの底で 169b不思議なるもの 169c負けない言葉
一語履歴 vol.168
あかちゃんポスト 168a呻吟語 168b奇跡 168c自分の力の引き出し方
一語履歴 vol.167
日本史 167a日本 167b精神的修養を積む 167c遠きを慮る
一語履歴 vol.166
天職への道 166a地域再生 166b成功への 166c資料が語る二宮金次郎
一語履歴 vol.165
プロの流儀 165a分身ロボット 165b鬼はいません 165c日本史講座
一語履歴 vol.164
後から来る者たち 164a畫れり 164b成長する 164c高い山を
一語履歴 vol.163
小学に学ぶ 163a帝国ホテルの現場力 163b太陽の下で考える
一語履歴 vol.162
唱道の人 一日は 162a江戸の庶民 162bみてござる
一語履歴 vol.161
おせっかい 161a翼を与える 161b足なし禅師
足なし禅師

「足なし禅師」と呼ばれた禅僧・小沢道雄師のお話です。
大正9年生まれの小沢氏は、幼年期に曹洞宗の専門道場で修行。
戦争で満州へ赴きます。

昭和20年、25歳で敗戦。シベリアに抑留され強制労働。
だが、肩に受けた銃創(じゅうそう)が悪化し、
役立たずは不要とばかり無蓋(むがい)の貨車で
牡丹江の旧日本陸軍病院に後送される。

氷点下4、50度の酷寒に夏服のままで、
支給された食料は黒パン1個、飲み水もままならず、
3日間を費やした行程で死者が続出した。
小沢師は死こそ免れたが、両足が凍傷に侵された。

膝から切断しなければ助からない。
その手術の担当軍医は内科医で外科手術はそれが初めて。
麻酔薬もない。
メスを執った軍医がしばらく祈るように目を閉じた姿を見て、
小沢師はこの軍医に切られるなら本望だと思い定めた。

想像を絶する激痛。
歯がギリギリ噛み合い、全身がギシッと軋(きし)んで硬直した。
すさまじい痛みは1か月余続いた。

八月に突然の帰国命令。
歩けない者は担架に担がれ、
牡丹江からハルビン、奉天を経てコロ島まで、
1,500kmを徒歩で行くことになった。

だが、出発して3日目の朝、
目を覚ますと周りには誰もいなかった。
満州の荒野に置き去りにされたのだ。

あらん限りの大声で叫んだ。
折よく通りかかった北満から引き揚げ途中の開拓団に救われたのは、
僥倖(ぎょうこう)というほかはなかった。

崖っぷちを辿るようにして奇跡的に帰国した小沢師は、
福岡で再手術を受け、故郷相模原の病院に送られた。

母と弟が面会に来た。

「こんな体になって帰ってきました。
 いっそのこと死のうと思いましたが、
 帰ってきました」

言うと、母は膝までの包帯に包まれた脚を撫で、
小さく言った。

「よう帰ってきたなあ」

母と弟が帰ったあと、
小沢師は毛布をかぶり、声を殺して泣いた。

懊悩の日は続いた。
気持ちはどうしても死に傾く。
その果てに湧き上がってきた思いがあった。

比べるから苦しむのだ。
比べる元は27年前に生まれたことにある。
27年前に生まれたことを止めて、今日生まれたことにしよう。
両足切断の姿で今日生まれたのだ。

そうだ、本日たったいま誕生したのだ。

足がどんなに痛く、足がなく動けなくとも、
痛いまんま、足がないまんま、動けないまんま、
生まれてきたのだから、何も言うことなし。
本日ただいま誕生!
深い深い覚悟である。

 1、微笑を絶やさない
 1、人の話を素直に聞こう
 1、親切にしよう   
 1、絶対に怒らない

小沢師はこの4つを心に決め、
58年の生涯を貫いた。
命の炎を燃やして生き抜いた足なし禅師の人生だった。
 
2015.09.22

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