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吉田松陰流 リーダーの条件 川口雅昭(人間環境大学教授) 世界文化遺産への登録勧告を受けた 「明治日本の産業革命遺産」の23の構成施設の1つ、山口県萩市の松下村塾。 幕末の志士・吉田松陰が主宰し、 明治維新の原動力となる逸材を数多く輩出しました。 『講孟箚記(こうもうさっき)』とは、吉田松陰が「下田事件」の後、 幽囚の身となった山口県萩の野山獄で同囚たちを相手に始めた 『孟子(もうし)』の講義内容を松陰自身が記録したものです。 松陰の講義はいたく人々の心を打つものでした。 穏やかな、しかも真摯な講義は獄中の囚人たちはもちろん、 獄外で講義を聴いていた獄吏(ごくり/牢獄の役人)たちをも感化しました。 松陰はただ一方的に教えただけではありません。 松陰もまた同囚を「先生」として、彼らが得意な俳句や書をともに学びました。 絶望や嘆きに満ちた牢獄はたちまちにして学びと希望の場と変わったのです。 『講孟箚記』は現在に生きる私たちに様々な人生や仕事の示唆を 与えてくれますが、その一つが組織の長たる者の姿勢です。 その中でも特に大切なものを2つ挙げれば、 「私心を去る」こと、そして「善を好む」ことです。 松陰は『武教全書講録』の中で、国家の長たる武士がなすべきこととして、 公私の来客に対応すること以外には、 「武芸を習ひ、武義を論じ、武器を閲(けみ)するの三事に過ぎず」 (武芸習練、武士のあるべき様の学問、武器の手入れの三つに過ぎない) と述べ、 「武士誠にこの三事を以て日々の常識とせば、 武士たらざらんと欲すといえども得(う)べからず」 (武士が本当にこの三つのことを日々の当然とし実践すれば、 立派な武士たらんと思わなくても、必ず心ある武士となるであろう) と結んでいます。 ここで松陰のいう「武義を論ず」とは、 侍としてのあり方について学び続けることです。 『講孟箚記』では具体的に次のように言っています。 「武士たる所は国のために命を惜しまぬことなり。 弓馬刀槍(きゅうばとうそう)銃ホウ(※石+駁)の技芸に非ず。 国のために命さへ惜しまねば、技芸なしといえども武士なり。 技芸ありといえども、国のために命を惜しむは武士に非ず。 (武士の武士たる価値は、国家のために命を惜しまないところにある。 弓馬・刀槍・銃砲などの技芸にあるのではない。 国家のために命までも惜しまないというのであれば、 技芸などなくても立派な武士である。 いくら技芸があったとしても、 国家のために命を惜しむようであれば武士ではない) リーダーに必要なのは技芸ではない。 いざという時に国のために命を捧げる腹さえあれば、 それだけでいいのだ―― 松陰のリーダー論は極めてシンプルです。 まさに私心を去ることの極みとも言うべき言葉ではないでしょうか。 二番目の善を好むこと(好善)は 『孟子』の思想の真髄で、松陰もとても大切にしていました。 「『善を好む』ということは、 政治を執る人が座右の銘とすべき教えである。 政治を行うことは難しいことではない。 善を好むことと他者を受け入れること、 これができる人は国に利益を与える。 優れた人材を登用する時には国家は安泰で、 そのような人を退ける時には国家は危険になる」 「私心を除去する」「善を好む」。 この二つは、口にするのは簡単ですが、実行となると至難の業です。 しかし、事を為すにこれほど大切なことはありません。 その目標に向かって突き進み、 その如く生きたのが、まさに松陰だったのです。 |
2015.05.07 |
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