本文へスキップ

      次代に輝く住まいを創る

TEL. 0246-65-2311

〒979-0154 福島県いわき市沼部町鹿野43

一語履歴WORD vol.136

過去の一語履歴を見ることが出来ます。

一語履歴 HOME
⇦前 一語履歴 次⇨ 
一語履歴 vol.140
仕事の鉄則 140aさつまいも 140bマザー・テレサ 140c松井秀喜の才能
一語履歴 vol.139
プロの流儀 139a吉田松陰 139b天才心臓外科医
一語履歴 vol.138
一天地 138a木猫 138b吉田茂首相 138c感動分岐点
一語履歴 vol.137
人生に 137a谷間に咲く 137b一人の時間 137c目の不調
一語履歴 vol.136
ちょっとだけ 136a桃李 136b生命の火を 136c柿と語る
一語履歴 vol.135
心の純粋性 135a明るくふるまう 135b想像する 135c逃げない 135d
一語履歴 vol.134
煩悩 134a仕事ができる 134b幸福は
一語履歴 vol.133
男なら 133a価値はない 133bハタケヤマ 133c発展は幸福を
一語履歴 vol.132
アイデアに 132a人は何のために 132b違う見方 ~昨日はもっと大事
一語履歴 vol.131
迷ったときは 131a親に感謝 131bどん底家族 131c組織はそこに
ちょっとだけ桜を見てこようか
               大石邦子(エッセイスト)

突然の事故で、22歳の時に体の自由を失った大石邦子さん。
煩悶と苦悩を乗り越え、右手一本で紡ぎ出されるエッセイは
読者に大きな勇気と感動を与えています。

石川 先生が事故に遭われたのは
   勤務先に向かわれるバスの中とのことでしたね。

大石 はい。昭和39年、もうすぐ
   東京オリンピックの開会を控えた9月17日でした。

当時私は出光興産の会津事務所に勤めていました。

その日も7時20分の満員バスに飛び込んで、
運転席を取り囲むパイプに掴まり立ちをしていたんです。

しかし、横からオート三輪車が飛び出してきて、
バスが急ブレーキをかけた瞬間、
私はみぞおちをパイプに打ちつけて、
そこに乗客が将棋倒しで倒れてきたんです。

その重みを一身に受けて、
「ああ」と声を上げたところまでしか覚えていません。

目が覚めた時、そこは病室でした。
そして部屋が燃えるように赤かったんです。
たぶん夕日が差し込んでいたからだと思います。

そこからの日々です。
回復の兆しの見えない日々を過ごしながら、
いつしか死を願うようになって、
自殺未遂をしたこともありました。

石川 ご著書にありましたね……。

大石 痛みでなかなか眠れないので、
   睡眠薬の量を増やしてもらうようお願いして、
   それを溜めておいて一気に飲んだのです。

だけど、死ねませんでした。
母はショックで心筋梗塞を起こし、
父は私の頬っぺたをピタピタ叩きながら言いました。

「死んだほうが楽かもしれない。
 でも、生きなきゃダメなんだ。
 お父ちゃんのためにも、お母ちゃんのためにも
 生きなきゃダメなんだ、分かるか」

って、涙をこぼしました。

私はそれまで、命なんていうことを
突き詰めて考えたことはなかったんです。
命は自分のものだと思っていました。

しかし、愛情で繋がっている命は一つの体のようなもので、
私が苦しい時、母も苦しいんだなって。
父もきょうだいもお友達も同じで、
私が死ぬっていうことは、最悪の苦しみを与えることになる。

自分のものだからどうしても構わない
というものじゃなかったんだと感じました。

ただ、本当に生きるに生きられない、死ぬに死ねない、
という思いは残りましたね。

石川 死ぬに死なれない……それはものすごい絶望ですね。

大石 はい。絶望の中の絶望でした。

自暴自棄にも陥り、病室で2度目の春を迎えたある日、
自分の心が抑えられなくなったのです。

昔はお城から病院までずーっと桜並木が続いていて、
夜には雪洞が灯って、夜桜見物の人たちが賑やかに行き交うわけです。

その賑わっている世界と、
私のいる世界には越えられない淵があるんですね。

その頃、母もがんで入退院を繰り返していましたから、
    私の付き添いのために妹が大学をやめることになりました。

みんな私のために不幸になる。
私なんか生きていても世の中の何の役にも立たない。

そう考えるとカーッと頭にきて、
とにかく手当たり次第に物を投げつけて、
真夜中大暴れをしたんです。

その物音は病棟中に響いたと思います。
看護師さんが飛び込んできました。

私は彼女にも物をぶつけたんです。
同い年の看護師さんでしたが、
何も言わないで私をじっと見ている。

いよいよ疲れ果て、声も涙も出なくなった時、
彼女は私の頭を抱き寄せて、涙を拭いて、こう言ったんです。

「ちょっとだけ桜を見てこようか」

そう言うと、自分のカーディガンを私に着せて、
タオルケットで私を背負うと、真夜中の階段を下りていってくれたのです。

彼女の背中の温もりを感じながら、本当に後悔しました。
こんなことをしても何にもならないのだと。
人を困らせるだけで、何の前進もないのだと。

そして、この人は生涯治ることのない障害を負った人間の、
やりきれなさ、虚しさを分かってくれているのだと感じました。
 
2015.04.19

バナースペース

櫛田建設株式会社

〒979-0154
福島県いわき市沼部町鹿野43
Mail infous@kushida-web.com
TEL 0246-65-2311
FAX 0246-65-2313
定休日:土曜日・日曜日