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人生に無駄な出来事は一つもない 山川宗玄(正眼寺住職) 鈴木秀子(国際コミュニオン学会名誉会長) 禅の修行道場の中でも一際厳しいことで有名な岐阜県の臨済宗正眼寺。 住職の山川宗玄老師は、 多くの修行僧を指導する立場にありながら、 なお自分自身の修行に已むことはありません。 山川 私は数日前まで台湾のある寺で 摂心の指導をしておりました。 そして、その修行期間も済み、 そこの住職の知り合いの自然農法の先生のお宅を訪ねたのです。 そこで大変面白い話を伺いました。 その方は私に 「一般に畑の野菜、ナスやトマトに虫がついていて 食べたりするけれども、なぜだか分かりますか」 と質問される。 「それはその野菜が好きだからでしょう」 と答えますと、そうではないと。 虫が好きなのは本当は草だとおっしゃる。 鈴木 ああ、そうなのですか。 山川 自然農法家は作物が育つ間、 自然に育ってくる草を刈らないそうです。 作物と同じくらいの高さに草が育っていると、 虫はトマトやナスには見向きもせず、草を食べる。 それを知らずに草を刈ってしまうから 虫は止むを得ず野菜を食べてしまうのだと。 しかも、虫の種類によって草の好物は様々だから、 無駄な草、つまり排除すべき草はないというのです。 この話を聞いて、これは僧堂でも一般社会でも 人を指導する上では同じだなと目から鱗が落ちる思いでした。 自然界では雑草や虫ですら一つとして無駄なものはない。 「おまえは気に入っているからここにいなさい」 「おまえはこの場所に合わないから出て行け」 といったような発想は、 実は何も育てていないということになります。 鈴木 それは人生も一緒で、苦しいこと、嫌なことが いろいろとあったとしても「この出来事にも何か意味があるんだ」と受け止めて、 味わっていくことが大切なのではないでしょうか。 山川 そのとおりですね。 禅ではそれを現成受用といいます。 現成とは自然がいつの間にかつくりあげたものであり、 それは素直に受け入れるべきであって排除すべきではないという教えです。 鈴木 いい言葉ですね。 きょうの対談のテーマは「人生心得帖」ですが、 その言葉一つだけでも徹して心していったら、 人生を生きていくことができますね。 山川 生きていく上ではいろいろな出来事に遭遇します。 これはキリスト教や儒教にもあるようですが、 天はその人の担える試練しか与えない、という教えは本当だと思います。 十分に耐えられるから苦しみながらも生きていられる。 もし耐えられなければ、そこで死んでいるはずです。 苦しい状況に遭遇したら、自分はそれだけ大きな人間だと考えて 黙って受け入れて前を向いて歩いていく。 これが禅の発想ですね。 鈴木 『聖書』にも、 「苦しみがあるところには、 それを乗り越える力が必ず与えられている」 と書かれています。 |
2015.04.22 |
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