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逃げない 誤魔化さない どんなに苦しくても真正面から立ち向かう 大久保秀夫(フォーバル会長) 情報通信業界のリーディングカンパニーとして 躍進し続けるフォーバル。 25歳で同社を創業し、かつて国内通信を 独占していた電電公社に闘いを挑み、 通信の自由化に尽力したのが大久保秀夫氏です。 25歳の時、徒手空拳で創業した会社は35年経ったいま、 売上高400億円、従業員1700人を超える上場企業になった。 そんなことから時折、 「大久保さんが成功した秘訣は何ですか」と尋ねられるのだが、 はっきり申し上げてこういう質問にはうんざりする。 「まだまだやりたいことが山ほどあるし、 成功したとは全く思っていない」 というのが正直な答えだ。 自分は成功した、もう満足だと思ったその瞬間から、 人間は堕落の一途を辿る。 やはり生きている限りゴールはないし、 死ぬまで成長し続けなければならない。 現在私は60歳だが、いまも毎日全力の日々を過ごしている。 その姿勢を築き上げたのは怒濤の如く生きた 20代の10年間に他ならない。 創業僅か1年で業界首位の地位を確立したその翌年、 大阪に支社を設立すると、私はそこで6名の社員を雇い、 毎日飛び込み営業をしていた。 そんなある日の晩、「いますぐ東京に戻ってきてください」と電話が入った。 深夜12時過ぎに会社に着くと、全社員が集まっている。 会社に対して何か不満があったのだろう。 いろいろと要求を述べてきたので、私が「呑めない」と突き返すと、 20名の男性社員がバッジを外し、 「じゃあ辞めさせていただきます」と言って出ていった。 男性営業マンは4名だけが残り、12名の女性事務員は震えている。 私は動じた素振りを見せず、「腹減ったな。みんな飯行こう」と言って、 焼肉屋に行き、カラオケを楽しんだ。 朝5時過ぎに帰宅し、妻と子供の寝顔を見た瞬間、 初めて我に返って足がガクガク震えた。 「俺の会社って、潰れちゃうのかな……」 考え抜いた末に出した答えは、 大阪の支社を畳んで、事務員を2名にし、 残った営業マン4名とやり直そうというものだった。 いざ会社へ行こうと外に出ると、 朝の太陽が何とも重たく憂鬱に感じられた。 「大阪の6人と東京の事務員10人は何の責任もないよな。 自分が生き残るために人のクビを斬って、 そんなことでいいのだろうか……」 その時、ふと思った。 「いや、違う。坂本龍馬は前のめりになって倒れると言ってたな。 だから、俺も倒れる時は前のめりだ。辞めた分は補充しよう。 20人辞めたら20人新しく入れればいいんだ。 彼らを教育する時間さえ耐えられれば、また元に戻れる」 そう考え方が切り替わった瞬間、太陽が綺麗に見えた。 銀行は取り合ってくれないので、父親に借金を申し込み、 面接に来た人を全員採用した。 東京では先輩営業マン1人につき5人の新人を連れて指導し、 私は大阪で6人とともに外回り。 夜中に東京へ戻ってミーティングし、電話帳を枕に寝る。 朝5時過ぎに跳ね起きて、また大阪へ行く。 そういう生活を月曜から金曜にわたって1年間続けた。 1985年に電電公社と民間の販売台数が半々となり、 電電公社の独占状態は瓦解。 そして、1988年には年商100億円を突破し、 当時の日本最短記録でジャスダック上場を果たしたのである。 倒産の危機に直面した時、もし楽な道を選んでいたら、 私の人生はいまだに卑屈なものになっていただろう。 だから、20代はとにかく逃げず、誤魔化さず、 どんな苦しいことでも真正面から立ち向かっていってほしい。 そういう経験は、必ず後々自分の人生に プラスの力をもたらしてくれる。 |
2015.04.13 |
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