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生命の火をあかあかと燃やして 浅井周英(教円幼稚園園長) 国民教育の師父と謳われた森信三師。 森師の高弟にして教円幼稚園園長の浅井周英さんが語った 浅井 森先生の生き方を振り返るにつけ、冒頭にも申し上げましたが、 教師の人格をつくる教育を何とかしなければならない、 という思いが募りますね。 私は和歌山の学校教育課にいた時に教員の採用にも携わったんですが、 面接で小学校の時の担任の先生の名を聞くと、 残念ながらほとんどの人が言えないんですよ。 そこで、 「あなたは子供に名前も覚えてもらえないような先生になりたいか、 それとも『この先生のことは一生忘れません』と言われるような先生になりたいか」 と聞くと、やっぱり 忘れられない先生になりたいと言うんです。 そういう先生になるためにはどうしたらいいかといえば、 やはり人格を養わなければなりません。 寺田 そのとおりですね。 浅井 「薫習(くんじゅう)」という言葉がありますけれども、 教師には人間的な薫りが相手に移っていくようなものが なければなりません。 ただ知識を教えるとか、やさしく教えるとか、 そんなものではダメです。 小学生の時、冬に学校の校門横の泉水に放り込まれた人がいましてね。 その先生を恨んでいるかと聞いたら、恨んでいないと。 一緒に飛び込んで自分を引き揚げてくれ、 「寒かったろう」と言ってくれたんだと。 その人はその先生の訃報に接した時、 あぁ生きていらっしゃる間にお目に掛かりたかったと ため息をついたそうです。 そういう子弟の深い結びつきは、 デジタルの世界では絶対にできません。 もっと人間的なものなんですね。 本当に人と人とが向かい合って、感動を伝え合える教師。 やっぱり情熱があって、元気で、よしやるぞ、 という気概を持った教師でなければなりません。 寺田 おっしゃるとおりです。 浅井 その意味で、ぜひとも心に刻んでいただきたいのが、 森先生のこの言葉です。 「『石も叫ばん』という時代ですよ。 いつまで甘え心を捨てえないのですか。 この二度とない人生を、いったいどのように生きようというのですか。 教師を志すほどの者が、自分一箇の人生観、世界観を 持たなくてどうするのです。 眼は広く世界史の流れをとらえながら、 しかも足元の紙屑を拾うという実践をおろそかにしてはなりませんぞ」 「教育とは、流れる水に文字を書くようなはかない仕事なのです。 しかし、それをあたかも岩壁にのみで刻みつけるほどの真剣さで 取り組まなければならないのです。 教師がおのれ自身、あかあかと生命の火を燃やさずして、 どうして生徒の心に点火できますか。 教育とはそれほど厳粛で崇高な仕事なのです。 民族の文化と魂を受け継ぎ、伝えていく大事業なのです」 この火を吐くような先生の思いを、教師に限らず、 いまを生きるすべての人がしっかりと受け止めなければならない。 そして各々の人生心得帖に 刻み込まなければならない。 |
2015.04.21 |
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