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資治通鑑 荒井 桂(郷学研修所所長) 千年に及ぶ中国の歴史を編纂した 『資治通鑑』という書物があります。 著者の司馬光は政治について 興味深いことを言っています。 教化は国家の急務なり。 而るに俗吏は之を慢る。 風俗は天下の大事なり。 而るに庸君は之を忽せにす。 夫れ唯だ明智の君子のみ深く識り 長く慮り、 然る後その益の大にして 功を収むることの遠きを知るなり。 (教化は国家の政治の中で 最優先・最重要視せねばならぬ 事項である。 国の民の風俗がどうなっているかは 天下の大事である。 ところが、 凡庸な君主はこれを軽視する。 ただ明智の君臣のみが 教化と風俗との意義を深く認識し、 永く配慮を続けて、 しかるのちに、 その結果のいかに大きく、 いかに後世にまで影響するかを 知るのである) この「論賛」は、西暦一世紀、 王莽を破り後漢を創始した 光武帝の偉業を受けてのものです。 光武帝は前漢末の 群雄割拠の世の中にあって、 反乱軍を抑えて 戦いに暇がなかった にもかかわらず、 「古典を尊重し、 学者・人物を賓師として招き、 教化の中核として学校を開き広め、 教化・風俗の根幹となる礼楽を修め、 明らかにしようとした。 その結果、再興成った後漢では、 武力による天下平定とともに 文徳も天下に行き渡った」 と司馬光は述べています。 さらに、光武帝に続く明帝や章帝も 学問・道徳を修めた者を登用し、 その結果、立派な人物は 高官から一般庶民にまで敬慕され、 劣悪な人物は 郷里でも棄てられるように なったことに言及。 後漢が滅亡して三国時代に入った後、 魏の曹操が自ら皇帝に なろうとしなかったのも 光武帝の確立した 名分を慕っていたからだ と論じています。 つまり、後漢の文教政策が いかに後の世まで 大きな影響を及ぼしたかを 強調しているのです。 |
2017.05.28 |
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