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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.246

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一語履歴 vol.250
自分の限界 250a一歩一歩 250b資治通鑑 250cバカになって
一語履歴 vol.249
医者であれ 249a日本のイエス 249b人工知能 249cお互いに
一語履歴 vol.248
司馬遷 248a中江藤樹 248b自分が 248c教師の資格
一語履歴 vol.247
自分がやれねば 247a一年目は職場の 247b受け手の 247c一番の源泉
一語履歴 vol.246
バカなこと 246a二宮尊徳 246bどう動く1 246cどう動く2
一語履歴 vol.245
相田みつを 245a営業は不要 245bまず動く 245c僕たちのほうが
一語履歴 vol.244
鳴かぬなら 244aどん底の景色 244bガンジーの言葉 244cいまを
一語履歴 vol.243
感動が覚悟を 243a社員がワクワク 243b感謝は返謝を 243c良心に逆らう
一語履歴 vol.242
どうすれば 242a捨てる覚悟 242b楽をするな 242c知恵と人間性
一語履歴 vol.241
人生に迷ったら 241a復興への 241b世界一の 241c脳が活性化する
父の遺言「バカなことは絶対するな」
                 相田 一人(相田みつを美術館館長)
                 横田 南嶺(円覚寺管長)

相田みつを美術館の誕生秘話

【相田】
私が美術館の構想を持ったのは、
いま思えば不思議な縁に
導かれてのことでした。

1991年の12月17日に
父は亡くなりました。

その数日前に小康状態になって、
私は足利の病院から東京に戻ったんです。

仕事が溜まっていたので、
その日は夜遅くまで残業していました。

帰宅する時、駅の階段を
下りて終電に乗ろうと思ったら、
急いでいたのと疲れもあったんでしょう。

足を踏み外して階段の
上から下まで転げ落ちて、
全治6か月の右足複雑骨折
という大怪我をしてしまったんですね。

緊急手術をして3日目に
父が再び危篤になってしまい、
医者からはいま動いたら
骨がずれてしまうと反対されながらも、
無理を押して父のもとへ帰りました。

しかし、私が帰った時、
父は既に亡くなっていました。

長男の私が喪主なんですけど、
ギプスをしている上に
麻酔が効いているので全く動けず、
喋れないほど酷い状態でした。

それで母に、

「おまえはお父さんが
 元気なうちも頼りなかったけれど、
 最後まで頼りない」

と言われまして、
返す言葉が何もありませんでした。

【横田】
ああ、そんなことがあったんですか。

【相田】
葬儀が終わった後、
私は父が亡くなった病室の
隣の部屋に半年入院しました。

絶対安静なので、ベッドの上で
考えることしかできない。

その時に思い出したのが、
父が遺言のように言っていた言葉でした。

「もし自分が亡くなった後、
 美術館や記念館なんていうのは、
 ゆめゆめ考えるんじゃないぞ。

 世の中にとって必要と
 されるものであれば必ず残る。

 必要とされないものは
 どんなに残そうと頑張っても残らない。

 だから、そんなバカなことは絶対するな」
 
 (世の中にとって必要とされるものだった。)
 
2017.04.13

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