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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.244

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一語履歴 vol.250
自分の限界 250a一歩一歩 250b資治通鑑 250cバカになって
一語履歴 vol.249
医者であれ 249a日本のイエス 249b人工知能 249cお互いに
一語履歴 vol.248
司馬遷 248a中江藤樹 248b自分が 248c教師の資格
一語履歴 vol.247
自分がやれねば 247a一年目は職場の 247b受け手の 247c一番の源泉
一語履歴 vol.246
バカなこと 246a二宮尊徳 246bどう動く1 246cどう動く2
一語履歴 vol.245
相田みつを 245a営業は不要 245bまず動く 245c僕たちのほうが
一語履歴 vol.244
鳴かぬなら 244aどん底の景色 244bガンジーの言葉 244cいまを
一語履歴 vol.243
感動が覚悟を 243a社員がワクワク 243b感謝は返謝を 243c良心に逆らう
一語履歴 vol.242
どうすれば 242a捨てる覚悟 242b楽をするな 242c知恵と人間性
一語履歴 vol.241
人生に迷ったら 241a復興への 241b世界一の 241c脳が活性化する
いまを精いっぱい生ききる
              小澤 綾子(歌手、会社員)

歌手の小澤綾子さんが筋ジストロフィーと診断されたのは二十歳の時でした。

堪え続けた違和感の正体が
ようやく判明したのは、
二十歳の頃。

手すりなしで階段を上れなくなると、
私は覚悟を決めて、
大学病院に行きたいと両親に伝えました。

再検査で告げられたのは、進行性の難病、
「筋ジストロフィー」という病名でした。

一時は自分の違和感が証明されたことに
ホッとしましたが、

「具体的な治療法も薬もありません。
筋力はどんどん衰えていき、
十年後に車いす、
最終的には寝たきりになるでしょう」

と告げられると、私の心は
凍ったように冷たくなりました。
将来への不安、
思い描いていた夢を
諦めなければいけない現実に、
もはや自分は何のために生きているのか
分からなくなってしまったのです。

それから三年間ほどは何も手につかず、
ぼーっとした日々を送りました。
 
転機になったのは、
リハビリの先生との出逢いでした。
当初は

「どうせ病気を治せないのに」

などと斜に構えていた私でしたが、
病院に行く度に、
同じ病を抱えながらも
世間で活躍する方の話や、
ご自身の体験談を聞かせてくれ、
私をなんとか励まそうとしてくださる姿に、
少しずつ信頼が芽生えたのです。
 
とりわけ先生の言葉の中で
私の心を大きく変えてくれたのは、
次のようなひと言でした。

「そんなに下を向いてばかり、
暗く生きていたら、
あんたの周りには誰もいなくなってしまうよ。
一人寂しく死ぬのかい?」
 
その言葉にハッとされられた私は、

「なんとか先生を見返したい。
車いすになる前にやりたいことを
全部やってやろう!」

と決意。海外旅行を皮切りに、
語学留学やダイビングのライセンス取得など
やりたいと思っていたことに
挑戦し始めました。

挑戦の度に先生に報告に行きましたが、

「もっと本物に出逢いなさい」

「もっと将来を見据えて深く行動しなさい」

と、なかなか褒めてくれません。
それでも挑戦を続ける中で、いつしか
いまを精いっぱい生ききる.
これが人生だと思うようになりました。
 
2017.03.31
ガンジーの言葉
         奥田 浩美(ウィズグループ社長)

日本のIT業界創業期からIT企業の浮き沈みを間近で
見てこられたという奥田浩美さん。

──お仕事を通じてIT業界の
  浮沈を見てこられてきたことも、
  窮状打開のヒントに
  なったのではありませんか。

それはあるかもしれませんね。

私が最初に担当したクライアントは、
当時絶頂を極めていた
サン・マイクロシステムズ
という会社でしたけど、
いまはもうありません。

そういうなくなった会社や、
いなくなった経営者、
復活した経営者をたくさん
見てきて思うのは、
ただお金を稼ぐために
起業した経営者って残らなくて、
自分の使命をしっかり自覚して、
それが時代とクロスしている間は
会社は持つと思うんです。

私は、留学先のインドで
ガンジーやマザー・テレサがいた
場所に行き、仕事ではアップルの
スティーブ・ジョブズがいた
場所にも行った上に、
福祉という人に寄り添う
教育も受けてきました。

そんな自分には、
人間の幸せの上に立った
ITに寄与するという、
ものすごく大事な使命が
あると思っているんです。

──人間の幸せの上に立った

ITに寄与する。

ガンジーの言葉で大好きなのが

「あなたが見たいと
 思う世界の変化に、
 あなた自身がなりなさい」

という言葉で、私はこれを
ずっと行動指針にしてきました。

女性の働く環境も含めて、
いまの社会の現状に
文句を言うくらいだったら、
私がその変化になればいいやって。

ですから、何をしたら自分が
社会に変化を起こす
一つの石になれるか
ということはいつも考えているし、
そのための仲間も増やしたい。
 
2017.03.30
どん底の景色を見ると真の慈悲心が生まれる
                横田 南嶺(鎌倉円覚寺管長)

知人の漢方医で、
多くの人の臨終を見てきた方が
いらっしゃる。

先だって対談をして、
人が死に直面して
どのような心の変化が起こるかを
教わった。

まず、男女の欲望が消えてしまう。
男女という概念も薄れてゆくらしい。

更に、お金や財産などに対する
執着が消えてゆき、
名誉などへのとらわれも無くなってゆく。

そこで、身内に対する思いが
わき起こるという。
家族に会いたいという思いだ。

それを抜けると、
最後には吹いてくる風や日の光など
大自然に対する思いが残るのだと教わった。

最後に大いなる大自然の、
吹く風や射し込む光に触れると、
人はこの大いなるいのちに
帰ってゆくのだという
安らかな気持ちになれるのだ、
と言われた。
 
宮沢賢治は、肺の病で
三十七歳の生涯を終えられている。
熱心な仏教徒であったことは
よく知られている。
病の床にあって
「疾中より」
という詩を残されている。

床に伏せって血を吐き、
苦しんでいる様子を詠いながら、
最後にこう結んでいる。

「あなたの方からみたら
ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが 
わたくしから見えるのは有り難い世界です。
 
2017.03.29
「鳴かぬなら 殺してしまえ   ほととぎす」 (織田信長)

「鳴かぬなら 鳴かしてみせよう ほととぎす」 (豊臣秀吉)

「鳴かぬなら 鳴くまで待とう  ほととぎす」 (徳川家康)

「鳴かぬなら、それもまたよし  ほととぎす」 (松下幸之助)
 
2017.03.29

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