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すべてを捨てる覚悟 他阿 真円(第74代時宗法主) 終戦後、インドネシアに残され、命の危険にさらされた 現在98歳の他阿真円さん。 ──終戦の後はどうなさったのですか。 数か月後に、いま横浜に 停留している氷川丸が 迎えに来てくれることになって、 まず病人と病院関係者、一般邦人を 先に帰還させることになりました。 ところが、私たちが兵舎を 構えていた場所は港から 40キロも離れていたし、 おまけに当時のインドネシアは 独立運動で、どこへ行っても 「ムルデカ(独立)! ムルデカ!」 とやっていてとても危険だった。 港に行くまでの道は、 現地民が連合軍を防ぐために 街路樹を横たえたりして、 車で行けんかもしれんかったんです。 それで、10人の兵隊が 車両に機関銃を載せて 偵察に行ったが帰らない。 明くる日に第二陣が倍の人数で 行ったけれども皆やられちゃった。 皆戦死と報道されておったけど、 本当に気の毒だった。 また人数を増やして 偵察に行くかどうか ということになったけど、 私はその時に考えた。 武器弾薬を備えて行ったって、 またやられちゃうぞと。 目的は道路がどういう 状況になっているかを調べるためだ。 「全部を捨てて、無になって行け」 という阿弥陀さんの声が 聞こえたような気がしてね。 部隊長に 「私に行かせてください」 と言ったんです。 部隊長には随分心配されたけれども、 私は兵舎で飼われておった 白馬を貸してもらって、 キャラメルやら煙草やら、 現地人の欲しがるようなものを 積めるだけ積んで出掛けたんです。 ──自ら志願して死地へ赴かれた。 一遍上人の「捨ててこそ」 という教えを命懸けで 実践したわけです。 捨てるというのは、 捨て鉢になったり、 どうでもいいと 投げやりになるんじゃない。 すべてを阿弥陀様に お任せするということ。 もう生きて帰れん かもしれんけれども、 結果、生きて帰ることが出来た。 |
2017.03.16 |
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