本文へスキップ

      次代に輝く住まいを創る

TEL. 0246-65-2311

〒979-0154 福島県いわき市沼部町鹿野43

一語履歴WORD vol.242a

過去の一語履歴を見ることが出来ます。

一語履歴 HOME
⇦前 一語履歴 次⇨ 
一語履歴 vol.250
自分の限界 250a一歩一歩 250b資治通鑑 250cバカになって
一語履歴 vol.249
医者であれ 249a日本のイエス 249b人工知能 249cお互いに
一語履歴 vol.248
司馬遷 248a中江藤樹 248b自分が 248c教師の資格
一語履歴 vol.247
自分がやれねば 247a一年目は職場の 247b受け手の 247c一番の源泉
一語履歴 vol.246
バカなこと 246a二宮尊徳 246bどう動く1 246cどう動く2
一語履歴 vol.245
相田みつを 245a営業は不要 245bまず動く 245c僕たちのほうが
一語履歴 vol.244
鳴かぬなら 244aどん底の景色 244bガンジーの言葉 244cいまを
一語履歴 vol.243
感動が覚悟を 243a社員がワクワク 243b感謝は返謝を 243c良心に逆らう
一語履歴 vol.242
どうすれば 242a捨てる覚悟 242b楽をするな 242c知恵と人間性
一語履歴 vol.241
人生に迷ったら 241a復興への 241b世界一の 241c脳が活性化する
すべてを捨てる覚悟
           他阿 真円(第74代時宗法主)

終戦後、インドネシアに残され、命の危険にさらされた
現在98歳の他阿真円さん。
   
──終戦の後はどうなさったのですか。

数か月後に、いま横浜に
停留している氷川丸が
迎えに来てくれることになって、
まず病人と病院関係者、一般邦人を
先に帰還させることになりました。

ところが、私たちが兵舎を
構えていた場所は港から
40キロも離れていたし、
おまけに当時のインドネシアは
独立運動で、どこへ行っても

「ムルデカ(独立)! ムルデカ!」

とやっていてとても危険だった。

港に行くまでの道は、
現地民が連合軍を防ぐために
街路樹を横たえたりして、
車で行けんかもしれんかったんです。

それで、10人の兵隊が
車両に機関銃を載せて
偵察に行ったが帰らない。

明くる日に第二陣が倍の人数で
行ったけれども皆やられちゃった。

皆戦死と報道されておったけど、
本当に気の毒だった。

また人数を増やして
偵察に行くかどうか
ということになったけど、
私はその時に考えた。

武器弾薬を備えて行ったって、
またやられちゃうぞと。

目的は道路がどういう
状況になっているかを調べるためだ。

「全部を捨てて、無になって行け」

という阿弥陀さんの声が
聞こえたような気がしてね。

部隊長に

「私に行かせてください」

と言ったんです。

部隊長には随分心配されたけれども、
私は兵舎で飼われておった
白馬を貸してもらって、
キャラメルやら煙草やら、
現地人の欲しがるようなものを
積めるだけ積んで出掛けたんです。

──自ら志願して死地へ赴かれた。

一遍上人の「捨ててこそ」
という教えを命懸けで
実践したわけです。

捨てるというのは、
捨て鉢になったり、
どうでもいいと
投げやりになるんじゃない。

すべてを阿弥陀様に
お任せするということ。

もう生きて帰れん
かもしれんけれども、
結果、生きて帰ることが出来た。
 
2017.03.16

バナースペース

櫛田建設株式会社

〒979-0154
福島県いわき市沼部町鹿野43
Mail infous@kushida-web.com
TEL 0246-65-2311
FAX 0246-65-2313
定休日:土曜日・日曜日