過去の一語履歴を見ることが出来ます。
二宮尊徳 渋沢栄一も、土光敏夫も心酔した偉人 土光敏夫は石川島播磨重工(現IHI) と東芝の両社の再建に手腕を発揮し、 経団連会長をつとめ、 臨時行政調査会会長として、 行政改革を断行しました。 報徳博物館の建設に当たって、 その賛助会会長の任を引き受けたとき、 「尊徳先生は、至誠を本とし、 勤労を主とし、分度を体とし、 推譲を用とする、 報徳実践の道を唱えられ、 実行に移されたのでありますが、 その手法は極めて科学的であり、 経済の論理にかなうもので ありました。 重税が農民の勤労意欲を 奪っていることを認識され、 大幅な減税によって 働く意欲をかきたて、 農村を復興させ、 ひいては藩の財政をも 立て直していくやり方は、 見事というほかはありません。 財政再建が叫ばれ、 行政改革が実施に移されようと している今日、行財政改革の 先駆者である尊徳先生の 思想と実践方法を 改めて多くの方々に研究し、 会得していただき、 応用していただきたい。 国の内外を問わず世界の大勢は 多くの分野で行きづまりに直面し、 この困難な状況を克服する上で、 対処する方法手順を 与えてくれるものが 報徳の道にあると信じます」 と述べています。 経団連会長になってからも 通勤には公共のバス・電車を 利用するほど生活は “清貧の人”そのもので、 “メザシの土光さん”と呼ばれ、 庶民にも慕われていました。 『報徳記』は、二宮尊徳の高弟・ 富田高慶が師の言行を記した名著。 二宮尊徳といえば、薪を背負って 本を読む銅像が有名ですが、 600以上の荒れ果てた農村や 諸藩の再建を成し遂げた人物で、 その偉業はいまなお 語り継がれています。 相馬藩主がこの『報徳記』を 明治天皇に献上したところ、 これを読まれた明治天皇は、 維新の改革にとって重要なことが 書かれているとして、 これを全国の知事をはじめ リーダー等に読むように 図られたといいます。 その後、農商務省、大日本農会から 『報徳記』が刊行され、 広く世に知れ渡り、 志を抱いていた さまざまな分野の人たちに 大きな影響を与えました。 実業界では、先に挙げた 土光敏夫氏の他、渋沢栄一氏、 安田善次郎氏、豊田佐吉氏、 松下幸之助氏、稲盛和夫氏など 偉大な経営者の多くが 尊徳から学び、企業を起こしたり 成長させたりしたほか、 社会貢献も果たしています。 内村鑑三は『代表的日本人』の 一人として尊徳を紹介。 文豪・武者小路実篤は、 「尊徳のことをまるで 知らない人が日本人にあつたら、 日本人の恥だと思ふ」 とさえ、自著で述べています。 |
2017.04.14 |
〒979-0154
福島県いわき市沼部町鹿野43
Mail infous@kushida-web.com
TEL 0246-65-2311
FAX 0246-65-2313
定休日:土曜日・日曜日